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2009/08/12

「『大和』への反転」(「唐獅子」3)

 ここで、沖縄タイムスの担当者の方に、通常、新聞は「で・ある」調を使うと指摘を受け、文体変更(苦笑)。

◇◆◇

 与論島と沖縄島の間の境界は、奄美と沖縄が、「同じ」あるいは「似た」文化や自然でつながっていることが見えなくなるほど、お互いを無関心にさせてしまっている。それはなぜなのだろう。

 ぼくは、そこには1609年のことが濃い影を落としていると思う。

 まず、琉球出兵の後、奄美は割譲され、薩摩の直接支配下に置かれた。つまり、このとき奄美は、「奄美は琉球ではない」(1623年「大島置目之条々」)と規定された。その上、薩摩による奄美支配は、薩摩による琉球支配が中国に対して隠蔽されたように、幕府に対して隠蔽される。薩摩の奄美支配は日本に対して内証だったのだ。そして奄美は大型船の建造を禁じられ行動力を奪われる。奄美間、対琉球、薩摩への交通が途絶えたわけではいが、自発的な意思による交通は発揮できなくなってしまった。いわば、奄美は島に封じ込められてしまったのだ。

 この封じ込めの中、「奄美は琉球ではない」という規定は、強いられたものであるにも関わらず、長い時間をかけて、奄美の視野から沖縄が消えてゆく作用を及ぼしたろう。

 一方、沖縄としての琉球は、薩摩の琉球出兵以降、「琉球は大和ではない」(たとえば、1617年「定」)。と規定された。これまでこの規定は「大和」に対する従属性と説明されがちだったが、400年のシンポジウムでは、琉球は中国と日本に従属していただけではなく、日本や中国との関係を制御しながら国家を存続させたことが強調されている。それは、「琉球は大和ではない」という規定を逆手に取り、そこに琉球存続の根拠を見出したことを意味している。

 つまり、沖縄は「琉球は大和ではない」と規定されたが、その既定内に収まるだけでなく、「琉球は、大和ではない琉球である」と、捉え返して王国を存続させたのである。
ここで「琉球」という主体は浮上する。しかし残念なことに、そのことは同時に「奄美は琉球ではない」という像を琉球からみたとき、「奄美は大和である」という像に反転する契機になったのではないだろうか。実は奄美は、「奄美は大和ではない」という規定も強いられていたのだが、確かにその反転は起りやすかった。

 こうして沖縄の視野からも奄美が消えてゆくのだった。(マーケター)


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