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2009/07/05

「奄美」カルチュラル・タイフーンと懇親会

 今日の「奄美」カルチュラル・タイフーンと懇親会の案内を再掲します。懇親会だけの方も歓迎です。

◇◆◇

カルチュラル・タイフーン2009 / INTER-ASIA CULTURAL TYPHOON

☆パネルディスカッション

 「奄美にとってこの400年は何だったのか?--薩摩侵攻/侵略400年を考える」

☆開催日時/2009年7月5日(日)午後4時30分~午後6時10分
☆開催場所/東京外国語大学府中キャンパス「研究講義棟」102号室

◇東京外国語大学府中キャンパス

大きな地図で見る

「研究講義棟」102号室

◇交通アクセス

◆JR中央線
「武蔵境」駅のりかえ
西武多摩川線「多磨」 駅下車
徒歩5分
(JR新宿駅から約40分)

◆京王電鉄
「飛田給」駅北口より多磨駅行き京王バスにて約10分
「東京外国語大学前」下車

☆開催趣旨

 このイベントは、カルチュラル・タイフーン(文化台風)という文化研究のためのひとつとして行われるものです。私(大橋)は、5年前から、この毎年開催都市と会場を変えて催されるカルチュラルタイフーンにおいて、奄美に特化したバネルディスカッションを開催してきました。今回で5回目となります。今年は、奄美が1609年に薩摩に侵攻/侵略されたちょうど400年にあたることことから、この400年間の来し方の意味をテーマとするものです。こうした400年を考えるイベントは、奄美や沖縄で多く開催されているものの、このたび東京でもこうした奄美の歴史と社会、文化を考えるイベントを開くことになりましたので、ここにお知らせしておきます。(「神戸まろうど通信」から)

☆参加者/パネラー

・酒井正子氏(川村学園女子大学教授/奄美歌謡研究の第一人者・著作に『奄美歌掛けのディアローグ あそび・ウワサ・死』、『奄美沖縄 哭きうたの民族誌』ほか) 
・喜山荘一氏(マーケター/著作に『奄美自立論』ほか、与論島出身、東京在住)
・前利潔氏(沖永良部・知名町中央公民館勤務、『無国籍としての奄美』を今秋刊行予定)
〈司会・進行〉大橋愛由等(図書出版まろうど社代表)

☆内容

 2009年は、奄美にとって歴史的な年であると言えよう。
 1609年に、薩摩軍が琉球王国に、軍事侵略して、今年でちょうど400年になる。
その時から、奄美の支配者は、琉球王国から、薩摩藩に変った。「那覇世(なはんゆ)」から、「大和世(やまとゆ)」となった(これはいずれも奄美独自の歴史区分である)。奄美にとって、薩摩と鹿児島に支配された400年間とは何だったのか。それはとりもなおさず、薩摩と鹿児島は、奄美に対して、なにをしてきたのか、を意味する。これに対して、奄美の内部では、どのように対応したのだろうか。また、奄美の社会や人々は、どのように変化していったのだろうか。
 奄美には、薩摩と鹿児島に対する強い感情が、現在も残っている。こうした感情の元となったものは何なのか。我々は客観的にかつ注意深く分析する必要がある。
我々は、歴史、民俗、社会、文化などさまざまな分野で、この奄美の400年間について、まさに今、総括しなければならない。
 こうした今回のパネルディスカッションの問いは、奄美にとって、新しい記憶の創出となるであろう。

☆各パネラーの発表骨子

(1)酒井正子氏
 徳之島は、1609年の琉球侵攻途上最大の激戦地(秋徳の戦い)とされる。鉄砲で武装した薩軍数千人に果敢に立ち向かったのは、琉球より派遣された統治者(首里の主)の一族であった。彼らの子孫は藩政末期にも、植民地的支配に抗し武力蜂起(犬田布騒動)の先頭に立っている。一方薩摩系の郷士格の子孫も多数島に根付く。奄美諸島の中央にあって、鹿児島、沖縄双方と独自の距離感を保ちつつ生き抜いてきた徳之島のバランス感覚とダイナミックな行動力に注目し、その島民意識の一端を、支配層、民衆各々についてみてゆく。

(2)喜山荘一氏
 四百年前を起点にした奄美の困難は、「奄美は琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外である。その根底にあるのは、奄美が隠された直接支配地だったことだ。
 そこで奄美は、北からも南からも、存在しないかのような存在と見なされてきた。現在、それは「奄美は沖縄ではない、鹿児島でもない」と更新されている。二重の疎外は依然としてぼくたちの課題であり、そうであるなら克服されなければならない。求められるのは、島を足場にし島に止まらない奄美の語りである。針路はこうだ。北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ。

(3)前利潔氏
 奄美諸島にとって、「薩摩・鹿児島の時代」(400年)は、「琉球の時代」よりも長い。にもかかわらず、言語、民謡、民俗などの文化は、薩摩の影響を基本的に受けることなく、現在も琉球文化圏である。琉球文化圏は、徳之島以北の奄美文化圏、沖永良部島以南から沖縄島周辺の沖縄文化園、宮古・八重山の先島文化圏に分かれる。
 その中で、沖永良部島は、「琉球」なのか、「奄美」なのか、というテーマは重要な意味を持つ。一方で、奄美諸島は、政治的、経済的な側面では、薩摩の影響を強く受けていた。薩摩藩による奄美諸島に対する経済政策は、黒糖(さとうきび)政策を中心に展開され、奄美内部に、階級分化を生み出した。明治になると、「琉球処分」(1879年)との関連で、奄美諸島がどこに帰属するかについて、琉球王府、清国政府、明治政府、鹿児島県の思惑が絡みながら決定されていたことを明らかにする。また米軍政下(1946-1953)から日本に復帰する際には、鹿児島県以外の帰属も考えられた。奄美そして沖永良部島はいったいどこに帰属するのか、道州制の導入がささやかれる今も常に問われているのだ。

◇◆◇


カルチュラル・タイフーン懇親会&
喜山荘一さん『奄美自立論』出版を祝う会

7月5日(日)19時30分予定
 
場所 高円寺 LIVE & DINING BAR Reef(リーフ) 
〒166-0003 東京都 杉並区高円寺南3-46-9 プラザU B1F 
TEL 03-3313-5980
高円寺駅南口から徒歩2分


Reef_2

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受信: 2009/07/06 02:16

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