「北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ」5
さて、この400年を契機にしたイベントのなかで、主張されていることは、「琉球の主体性」だと思います。1609年以来、琉球は幕府や薩摩に従属的であったと言われてきたが、そうではなく、1609年から1879年までの270年間、琉球王国を存続させてきたのであり、そこには小国の論理がある、と。ぼくはこれは主張に足ることだと思いますが、この「琉球の主体性」の主張のなかでも、奄美は、存在しないかのような存在として扱われるのはお分かりだと思います。400年のイベントの成果のひとつは、かつて奄美は沖縄と命運をともにしたことを思い出させたことだと思いますが、「琉球の主体性」の主張のなか、奄美諸島は直轄領となった、以上、で終わってしまうのです。またしても。
しかし、「琉球の主体性」の主張を奄美として受け取るなら、従来、明治維新への貢献が言われてきましたが、琉球王国の存続への貢献もあるということに気づきます。奄美が薩摩の直轄領となったことで、琉球は従属性を軽くすることができたという面もあるはずですから。奄美は明治維新だけでなく、琉球王国存続にとっても無言の支え手だったのです。
奄美はこの理解をもとに、島人(しまんちゅ)の得意な相互扶助の気持ちとして、沖縄に向かっては、隣人としてそのつながりを伝えることで、ときに「沖縄人vs大和人」の構図が硬直化するのを和らげてあげられるのではないでしょうか。そして鹿児島には、他者として存在を伝えることで、鹿児島が維新以後の歴史を持つことを助けることもできるのではないでしょうか。それが、琉球と大和の交流地域である奄美にできることではないかとぼくは思います。
いま奄美は皆既日食を控えています。でもこれをただのイベントで終わらせてしまうのはとてももったいないと思います。日食の後に姿を現すのは太陽だけでなく、奄美の地理と歴史が姿を現さなければならないと強く思います。
400年のことを云々すると、そのことに対して、400年前のことを昨日のことのように言うのを驚かれたり揶揄されたりしているのをブログなどでみかけます。それはぼく分かるんですけれども、でも、400年てそんな昔のことじゃないと思います。日本にスタンスを置くと、明治維新からいままでの百数十年ですら連続した時間のなかに捉えられない、切断がいたるところにあり、歴史感覚を蘇らすのは大変な労力が要るわけですが、こと、奄美に関する場合、400年前が昨日のことのように感じられる、そういう歴史感覚というか、時代を呼吸できる感覚はものすごいアドバンテージではないかと思います。
それは、奄美は「存在しないかのような存在」と言いましたが、それをポジティブに捉えれば、「島(シマ)を島(シマ)たらしめてきた」ことにあるんじゃないでしょうか。奄美の島々は、さっきの酒井さんの話をお聞きすると、やっぱり徳之島ってすごいなあと思うように、奄美の各島々はそれぞれの個性が際立っています。そういったことは、これからそれぞれの島(シマ)を主役にできるという強さに転化して、近代以後をどうやってつくっていくんだという課題に対して時代の貌を作っていくこともできるのではないかと考えています。また、そういうことをこれからも考えていきたいなと思っています。これで終わらせていただきます。ありがとうございました。
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