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2009/07/28

「薩摩の琉球支配」というテーマの「炎上」

 「図書新聞」に、「特集 薩摩の琉球侵攻400年を考える」(「図書新聞」2009-6-6)と題して、5月9日、那覇で行われた、シンポジウム『薩摩の琉球侵略400年を考える』の詳細がレポートされている。ありがたい。

まずは、「千載一遇の機会」と題した武石和実のイントロダクション。

 400年前のこの事件、島津の琉球侵略は沖縄の人々の心の中に重い影となって残り、様々な機会に思い起こされ、また関係づけられて、対大和との関わりの中で怨念にも近い観念としてとらえられてきたといえよう。
 しかし、この事件が歴史研究の課題として正面から俎上に載せられることは少なく近年になって紙屋敦之、上原兼善等によってとり上げれるようになったに過ぎない。

 そういう言い方をすれば、鹿児島出身の紙屋敦之、沖縄出身の上原兼善、そして奄美出身の弓削政己が積極的に取り上げてくれていると思う。

 この間の動きの大きな特徴は、かつての琉球王国を形成し、島津氏の侵略によって分断された奄美と沖縄の連携・交流にあるといっていい。奄美と沖縄は島津氏による分断支配を受け、すぐとなりなのに人の行き来、経済活動、ともに低くおさえられてきたといってよい。法的な制限があるわけではない。薩摩による分断の400年の歴史意識のズレのなせるワザと呼ぶしかない。そしてその克服への努力も今日まで沖縄・奄美双方で意識的に試みられてきたとはいえない。この間の一連の動きの中では研究者が相互に行き来し、問題意識の共有を図っている。

 ぼくの大雑把な見取り図はこう。

 薩摩の琉球出兵以降、奄美は「奄美は琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外を受ける。一方、沖縄は、対日本の関係でいえば、「琉球は大和ではない」という疎外を受ける。しかし、沖縄としての琉球は、その疎外を逆手に取り、積極的に「異国」を強調することで、琉球王国を存続させた。つまり、「琉球は大和ではない、琉球である」と、疎外の形を更新させた。

 近代以降、奄美と沖縄はそれぞれの切実さから、「日本人になる」ことをこの疎外の脱出口に見出す。脱出口に関する限り、それは共通していた。しかし、共通したということは、それぞれの交流を深める契機にならなかった。「日本人になる」ということは、「大和」の方から覆いかぶさってくるものと捉えられており、その点において、奄美も沖縄も北を向いたため、両者の視線は平行線を辿り、交点を持たなかった。奄美は鹿児島を向き、沖縄は日本を向いた。

 しかも近世に、「琉球は大和ではない、琉球である」と疎外の形を更新させ、「琉球」の主体を強めた沖縄は、逆に、「奄美は琉球ではない」という規定を進めて、「奄美は大和である」という見なしの反転に傾斜しやすかった。一方の奄美は、「奄美は琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外のうち、前者の疎外を強調し、後者を否定することで、「奄美は大和である」と見なしたがった。ここでも両者は互いを誤解する。

 「日本人になる」ことの牽引ビームに捉えられるなか、「琉球は大和ではない、琉球である」と疎外の形を更新させた沖縄としての琉球は、「沖縄人」という自称を成長させたため、沖縄人を否定して日本人になる、という変身を伴った。その副産物のように、「大和人になりたくてなりきれないこころ」という心情が吐露された。

 他方、「奄美人」という自称を成長させることのなかった奄美は、「大和人になりたくてなりきれないこころ」とは言わずに、大和人へのなりすましを生んだ。

 こうした追跡は、一見、異なってみえる両者の姿に、行動の相似形を見出すことにつながると思う。

 実は島津の侵略を正面からとりあげた歴史論議は今年がはじめてのことである。研究者の豊見山和行氏が指摘しているのだが、300周年の時も、350周年の時もそのような論議が許されるような社会情況ではなかったのである。今年の400年は千載一遇の機会なのである。そしてそれは、琉球と薩摩、あるいは沖縄・奄美と大和・日本との関係性を改めて問い画す機会なのである。

 ぼくもそう思う。2009年は、1609年を対象化できる初めてのタイミングなのだ。


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コメント

昔は好きだらけ
     未来志向  錯誤ですか?
    きばりすぎですかね  。
  

   わたしは  とくに  泡  おぼれすぎ。

   過ぎた」  玄白。
              白状。

投稿: awa | 2009/07/29 07:29

awaさん

うれーの、駄洒落しながら意味をずらしていく筆法は、一品ですね。与論漫談、つくってください。

がしが、さいや、よいよいぬでぃたばーり。

投稿: 喜山 | 2009/07/30 07:33

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