「北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ」3
「奄美にとってこの400年とは何だったのか」。それは存在しないかのような存在と化したということであり、そうであるなら、ぼくたちはやはり姿を現す必要があるのだと思います。そのためには何が必要でしょうか。鹿児島の歴史家原口虎雄は、『鹿児島県の歴史』のなかで、「もし征琉の役がなかったら、琉球は中国の領土として、その後の世界史の進展のなかでは、大いにちがった運命にさらされたであろうと思われる。」と書きます。
これ、よく聞き覚えのある言い方です。でも知識人がこう言うと、この延長で「日本にしてやった」とかそういう言い草すら出てくるわけです。ぼくはこれを強者の論理と呼んできました。強者の論理は、加害、加害者の加害です、加害を感謝の要求にすり替えて、加害の内実を不問に付すという構造をしています。これにどうやって言葉を返して言ったらいいのか、とても悩んできました。
ところで今年は、奄美にとって400年の年でありますが、スピーチが印象的な年でもあります。2月には村上春樹のエルサレムでのとても印象的なスピーチをしましたね。そして、ぼくはその就任演説には心を動かされませんでしたが、4月の「米国は、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある」という大統領オバマのスピーチには心を動かされました。
これは、従来、「原爆のおかげで戦争は終わった」としか言われてこなかったものです。この、「原爆のおかげで戦争は終わった」が、やはり加害を感謝の要求にすり替えて、その内実を不問に付すという構造をしています。そして、この強者の論理と、「核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある」という言い方の間には、ものすごい距離があるわけです。ぼくたちも、強者の論理に抗する言葉を出していかなければならないと思います。
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