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2009/07/16

「皆既日食をどう生かすか」

 安田壮平は、来たる皆既日食を単なる天体ショーにとどめずに、「(皆既日食から)導かれるストーリーやメッセージを考えてみることが、この島の将来づくりにつながってゆくのではないか」と問題提起している(「皆既日食をどう生かすか」南海日日新聞)。

 試みに、今回の皆既日食から導かれる、わたしなりのストーリーないしはメッセージを記そう。キーワードは「内なる光」ではないかと思う。歴史をさかのぼれば、琉球王国・薩摩藩・アメリカ軍による統治と支配を受け、わが島の先人たちは、泉芳朗翁の詩「赭土の島」に代表されるような苦渋と忍従を味わってきた。その血とこの地を受け継ぐわたしたちは、先人たの艱難辛苦を胸に秘めながら、将来に向かって、決して希望を失うことなく、力強く進んでゆこうではないか。たとえ浩中がどれほど多くの閉塞で覆われ、外からの光を失ったとしても、内なる光を信じ、内なる光を発して、たくましく歩んでゆこうではないか。このようなメッセージを、太古の昔からわれわれの先人たちを懐に抱いてきたこの島の大自然が伝えているのではないだろうか。

 ぼくが安田さんの相方だったら、「チャクラか」とツッコミを入れるところである。しかしもちろん茶化したいわけではない。ぼくにしても『奄美自立論』で、奄美のことを「秘する花」と形容したのだし、.『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』の酒井正子さんはカルチュラル・タイフーンで奄美のことを「秘密の花園」のようだと話していた。奄美というところは、外からは見えない内なる魅力を根拠にイメージされるるのは共通しているのかもしれない。

 安田もまた、「内なる光」を奄美「本来」の魅力と捉えている。

 ここでいう「内なる光」とは、すなわち、奄美本来の良さ・美し・素晴らしさだと思う。それを発するとは、奄美本来の良さなどを見詰め直し、現代的に生かしてゆくことだと考える。自然と共に暮らし、海を渡って来た人たちを大切にもてなし、「兄弟っくわ」に表わされる人のつながりを事にする生き方。また辛苦の歴史を味わってきたからこそ培われた、人の痛みや苦しみに深く思いを致すことができる願いやり・人情と、そこに宿る癒やし・救い・よみがえりの力。そして「たちかしゃ」「きもぎょらさ」「すっとごれ」などに代表される言葉と思想の総体。これらを生かしてゆくことが、わたしたちの生活に心物両面の豊かさをもたらすであろうし、また生き方を見失い混迷を深めるわが国と世界の人々に新しい価値観や生き方の一つの指針を投げ掛けることができるのではないかと思う。

 「わが国と世界の人々」と大きくつなげる発想はぼくにはないけれど、つながりと思いやりを生かすのはその通りだと思う。

皆既日食をめぐるストーリーやメッセージは、百者百様、たくさんある方がよいと思う。将来振り返ってみたとき、この年が奄美にとって一つの重大な転機だったと、子孫たちに胸を張って伝えることができるように、お互いに知恵を絞り合いたいものである。 (奄美市名瀬・NPOスタッフ)(「南海日日新聞」2009/07/06)

 「皆既日食をめぐるストーリーやメッセージ」は、ぼくの位置からは「皆既日食もひとつの契機にしたストーリーやメッセージ」という方がコミットしやすいが、百者百様が望ましいのは、ぼくもそう思う。

 「皆既日食」×「400年」で、2009年を、太陽(ティダ)とともに「奄美」が姿を現す年として位置づける。

 「奄美出現キャンペーン」
 1.奄美郷土テキストの作成(各島/シマごとに)。
 2.奄振の企画立案権を奄美自身が行えるよう要請。
 3.奄美コント大会。(奄美の歴史を「笑い」で表現する)。奄美漫談へ。
 4.島唄「船倉」大会。(どの島/シマ)の島唄もやる。奄美も沖縄も。
 5.奄美ビジョンの議論。どうする道州制。
 6.「産む島・帰る島・逝く島」としての「南のふるさと島」構想。
 7.東京、大阪への奄美物産店開設。

 なんか、レベルもばらばらですが、アイデアとして。


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