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2009/07/05

鹿児島弁で島のアイデンティティを叫ぶ

私は、鹿児島本土で育ちながらずっと“島んちゅ”のアイデンティティを感じていました。

しかし、それは確かにあるんだけれども最初は無色透明のようなものでした。(「凍てつく南島」

 syomuさんが、鹿児島の島んちゅのアイデンティティの初期形を「無色透明」というとき、ぼくはどきっとする。東京で社会人になったとき、自分を「無色透明」化しようと意識していた。社会人としてやっていくのも覚束ないだろう自分の存在の仕方として「無色透明」が合っている気がしたからだが、それはもしかしたら、奄美の島人の本土でのアイデンティティ初期形の姿なのかもしれなかった。それは他のどこより、鹿児島で「無色透明」化は要求される。ぼくは鹿児島で培ったものを、東京で生きるに当たって、生きる技術として抽斗から取り出してきたのかもしれなかった。

公に島んちゅ自身が“島の血を引く者”を奄美の同胞として『民族教育』をすることもありませんし、本土の新聞やラジオ・テレビなどの鹿児島のメディアからは鹿児島弁での発信はあっても、島口が聞こえてくることはありません。

私は沖縄のあるラジオ番組から島口が次々に聞こえてきた時には衝撃でした。公のメディアから島口が聞こえてくる体験がなかったからです。

通常の学校教育で島の歴史の詳細が時間をかけて教えられることもありません。

昔は島と本土との人の往来や交流も限られていましたが、現代では交通の便も発達し島の血を引く二世・三世たちが次々に生まれている状態だと思います。

二世・三世たちの家の中で島の話がなかったり、島唄も島口さえも聞こえてこなければ自分自身で“島んちゅ”のアイデンティティに色を塗り重ねるしかありません。それはとても孤独で、溶けて消えてくれたら楽だろうと感じるかもしれません。本当にこんな彩りでいいのかと疑問に思い、塗っても自信が持てないかもしれません。

私もずっとそうでした。鹿児島弁で島のアイデンティティを叫ばなければならないような時に今でも絶望がありますが、私の場合は家の中で島口や島唄が聞こえてましたからまだ楽だったと感じてます。

 ぼくは、奄美について、二世というアイデンティティのありようがあるのをほとんど知らなかった。与論ゆかりの本山謙二が「「二世」のシマ」(「鹿児島市のシマ」『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』)と書いているのを読んで初めて知ったくらいだった。

 ぼくは与論二世を自称したことはない。与論島「生まれ」であることをことさらのように強調して、与論人(ゆんぬんちゅ)と自称してきた、したがってきた。ぼくは、幼いころのsyomuさんのように、「カタシテ」と言って仲間に入れてもらうこともしなかった。むしろ、鹿児島弁をアクセントもろとも拒んできた。この言葉は覚えない、と。でも、それは小さいのに反鹿思想だったからではない。そんなこと知るよしもない。最初は、疎外感から、そしてやがては意思になっていったが、ぼくの場合は、与論島では島の言葉を禁じられていたのに、なぜ鹿児島では自由なのかが解せなかったのに端を発していた。

 鹿児島の友人に、「鹿児島でも共通語をしゃべりましょう、って言われてたんだよさあ」と鹿児島弁で言われる。そのとき、与論島では、それが日本人の証になるだけ強迫観念が伴うこと、それを時には、鹿児島弁で強いられることもあるのを、どう伝えたらいいのか分からない。

 でも、それに応えるより前に、ぼくもsyomuさんのように、「家の中」で、親が話す与論言葉(ゆんぬふとぅば)を身体に刻むように覚えておこうとした。それにか、ぼくが与論人(ゆんぬんちゅ)であることを証しだてる材料がないように感じてきたからかもしれない。

 そう自分を作ってきたので、syomuさんや「奄美を語る会」で出会った友人のように、鹿児島弁で語る奄美アイデンティティはとても新鮮な驚きがあった。こういうあり方だってアリなのだと思わないわけにいかなかった。むしろ、ぼくのほうが土地の言葉に馴染もうとしなかった分だけいびつな形をしているのかもしれない。

 「とても孤独で、溶けて消えてくれたら楽だろうと感じ」、「本当にこんな彩りでいいのかと疑問に思い、塗っても自信が持てない」という感じ方は共通していて、鹿児島弁の「二世」アイデンティティにとても共感する。むしろ、「世界の中心で愛を叫ぶ」ではないけれど、「鹿児島弁で島のアイデンティティを叫ぶ」痛切さに心を打たれる。

 でも、そんな声を聞けたことのほうが、ぼくには遥かに嬉しい。悩みという形ではあるけれど、独りではないと思うことができる。在鹿・奄美アイデンティティの行方は、ぼくにとって他人事のようには思えないのだ。


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