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2009/07/27

山中貞則、再び

 教えられて「サンデー毎日」(8.2号)の連載、「新 忘れられた日本人」を読んだ。『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』の佐野眞一が改めて、薩摩の政治家、山中貞則について書いていた。

 佐野によれば、山中は「数々の伝説に彩られた破天荒な政治家」だった。鹿児島県会議員での地方選挙では、背中に「民族再建」というのぼりをくくり、馬にまたがって選挙区を回った。衆議院議貞に初当選時、国会で当時の総理大臣、吉田茂に挨拶して無視され、「こら待て、吉田」と怒鳴りつける。国政を一度、退いた後の次の衆議院議員選挙では、鹿児島に応援に駆け付けた元総理、中曾根に対し、「こういう政治家が日本をダメにした」と言ってのけた。かと思えば、日陰で選挙演説を聞いていた聴衆に向かい、「オレが暑い日向で演説しているのに、何でおまえらは日陰で聞いているんだ」と怒鳴りつける。

 一方、総理佐藤栄作の時代に総理府総務長官として初入閣した際、佐藤に向かい、「沖縄に関する限り、各省の権限をこの山中にすべてゆだねると約束してくれるなら、お引き受けしましょう」と、前代未聞の条件をつける。変動相場制への移行の際、本土復帰目前の沖縄にも適用されれば、沖縄経済が莫大な損害を蒙ると見るや、大蔵省、米国政府が猛反対するのを承知の上で、補填政策を命じる。金融機関保護のため、本土銀行の沖縄出店を阻止した。また、軍用地主の要求に対し、ほぼ要求通りに応じて軍用地主たちを喜ばせた。

 酒場では、さしづめ武勇伝として語られるだろう数々のエピソードを数え上げて、佐野は、

こうした点を見る限り、確かに山中は沖縄にとって余人に代え難い大恩人だった。だがその反面、現在の本土依存の補助金づけ体質にしてしまったという意味では、山中は沖縄の自助努力を殺いだA級戦犯でもあったといえる。

 と断じている。

 ぼくは、これらのエピソードを前に、山中が「沖縄の自助努力を殺いだA級戦犯」に値する大きさは無いように思える。確かに威勢はいいものの、日陰で選挙演説を聞いている聴衆に対し、「オレが暑い日向で演説しているのに、何でおまえらは日陰で聞いているんだ」と怒鳴るあたり、強きをくじき 弱きを助けるのではなく、肥大した妄想自我の住人である。そこからは、中曽根も聴衆も、自己を引きたてる存在になるだろう。ここからはかなり単細胞な印象、いわば、封建的風土に豊富に残る人間的情感に、あの、実際的武断の気質を接ぎ木した人物像がやってくる。

 台湾で教鞭をとっていた屋良朝苗の日本復帰への情熱にふれたことが山中の沖縄への思いを決定づけ、それが薩摩の琉球出兵に対する沖縄への謝罪へとつながったと、山中は解説している。

 ぼくは、この実際的武断の単細胞に対し、沖縄への謝罪があって、奄美への謝罪がないのはなぜなのか、と問い、その態度のどこかに、陰影や含みを求めるのは土台、無理なのかもしれないと感じた。彼の行動型は、薩摩の実際的武断を、沖縄を拠点に日本に対して発動させるとどうなるかを演じてみせたもののように見える。


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