Deep Reef
濃く深く。それ以外、どう表現したらいいか、うまい言葉が見つからない。
徳之島の想いがあり、与論の想いがあり沖永良部の想いがあり大島の想いがあり、そこへ接近しようとする想いがあり、深い理解があり。それぞれの想いを聞くうちに、自分の想いが深化され、また独りよがりが相対化されていった。
鈴木さんユキさんの「朝花節」に始まり、宗さん持田さんの「諸鈍長浜」、持田さんの「五尺ヘンヨー」、シーサーズの琉球舞踊があり。それはそれはご機嫌だった。琉球弧のどこか、だけやるんじゃなくて、どれもやる。これ、ありだなと改めて思った。聞く島人が、これは自分たちの歌だと必ず思える場面が持てるし、それは大切なことなんじゃないかな、と。
あまりに濃くて深くて。ぼくは、酒も食事もだけど、あと倍くらいは時間がほしく、その場の方たちの想いを一つひとつ聞いていたかった。度の高い酒は希釈してゆっくり味わうことができる。時の流れとともに、この晩に語られた想いの意味がしみじみやってくるのを待ってようと思う。
それから、
さっきから、煙草ばかり吸っている。
「わたしは、鳥ではありませぬ。また、けものでもありませぬ」幼い子供たちが、いつか、あわれな節をつけて、野原で歌っていた。私は家で寝ころんで聞いていたが、ふいと涙が湧いて出たので、起きあがり家の者に聞いた。あれは、なんだ、なんの歌だ。家の者は笑って答えた。蛸幅の歌でしょう。鳥獣合戦のときの唱歌でしょう。「そうかね。ひどい歌だね」「そうでしょうか」と何も知らずに笑っている。(太宰治「俗天使」)
ある方の話をお聞きしていたら、このくだりが思いだされた。奄美的生はこの心情がよく分かると思う。
※恥ずかしながら、出版のお祝いもしていただいた。感謝です。(「高円寺Reef」)
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