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2009/06/27

「北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ」ver.1

 7/5のカルチュラル・タイフーンのレジュメ。ただ、これは「奄美を語る会」の話の流れを引きずっているので、再編するつもりのものだ。


[Room 102] 16:30-18:10, 5 July
奄美にとってこの400 年は何だったのか? 
 What were these 400 years for Amami?

◆北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ
"Surface the Shichitou-nada Sea in the north. Cross the prefectural border to the south."

◇四百年前を起点にした奄美の困難は、「奄美は琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外である。その根底にあるのは、奄美が隠された直接支配地だったことだ。そこで奄美は、北からも南からも、存在しないかのような存在と見なされてきた。現在、それは「奄美は沖縄ではない、鹿児島でもない」と更新されている。二重の疎外は依然としてぼくたちの課題であり、そうであるなら克服されなければならない。求められるのは、島を足場にし島に止まらない奄美の語りである。針路はこうだ。北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ。

Abstract
The difficulty of Amami that began 400 years ago is a double alienation; "Amami is neither Yamato nor Ryukyu." In the basis of the alienation, Amami was a "region under concealed direct rule." Amami has been almost nonexistent in the eyes of the north as well as the south. Today, the situation is only slightly updated to a view "Amami is neither Kagoshima nor Okinawa."
If this double alienation is still our problem, it is necessary to be overcome. What we are called on to present is a narrative of Amami which is based on the "Island" though not restrained to the "Island." The course is this: Surface the Shichitou-nada Sea in the north; cross the prefectural border to the south.

◇レジュメ

1.存在しないかのような存在としての奄美

1)アリモドキゾウムシ・アフリカマイマイ・マングース

「しかし奄美ではその病害虫のただ中に住み、その撲滅対策はいっこうはかどらないのです。病害虫をとじこめるために奄美を封印するのではなく、島の中から病害虫を根絶やしにする方法が、どうして積極的に考えられないものでしょうか」(島尾敏雄)

2)「ぼかし」(山下欣一)

「とにかく奄美は、「負」として位置づけられる。奄美の伝統的な慣習・信仰は、未開・野蛮・迷信であり、前世紀の遺物として早急に奄美人が脱却すべきものとして規定される。それでは「正」というのは、なにかといえば、それは身近かな鹿児島であり、それに連なる日本本土のそれであった。だからして、奄美を風化し、消去すること、日本人として生きることが奄美の教育の目標として高く掲げられることになった。」

3)山中貞則の謝罪

「とはいっても侵攻の事実に変わりはない。またすでに四百年も昔の歴史であるとはいえ、過ちは過ちである。政治家として、また島津の血をひく鹿児島の人間として、知らぬ顔で過ごすことはできない。そういう気持ちが強かったから半世紀前、衆議院議員として国会に登院して以来、沖縄の人たちに琉球侵攻を心からお詫びし、政治家として罪を償わなければならないと考えてきたのである。」


2.隠された直接支配地

1)二重の疎外

「奄美は琉球ではない、大和でもない」

2)二重の疎外の隠蔽

「琉球人両人交り居り候ては如何と存じ、月代を剃り、日本人の姿に仕立て、登世村を村右衛門、島森を島右衛門と名付け置き申し候」

3)隠された直接支配

「問て曰、右判物の趣を以ては道之島は中山王領地の筋なり、然れば慶長より琉球を離れ吾に内附せしは内證のことなるや、答て曰、然り、内地の附属と云うこと、別段御届になりたる覚へなし」(「第六十三 道之島内地附属」「租税問答」(汾陽光遠、1874年)


3.「維新止まり」と「失語」の相互規定

1)維新止まり-他者の不在と個の不在

「日本人の中で最も尊敬され、そして人気のある歴史上の人物は誰かと問われると、ほとんどの人が西郷隆盛と答えるだろう。」『薩摩のキセキ』
「日本人にとって、おそらく最大にして永遠の歴史ドラマは、「明治維新」ではないかと思います。」原口泉

2)維新止まり-個の不在

「議を言うな」

3)維新止まりは、奄美の失語と相互規定的ではないだろうか。


4.北の七島灘を浮上させ、南の県境を越境せよ

1)強者の論理の解体

強者の論理-加害を感謝の要求にすり替え、その内実を不問に伏す。
「もし征琉の役がなかったら、琉球は中国の領土として、その後の世界史の進展のなかでは、大いにちがった運命にさらされたであろうと思われる」原口虎雄

2)「黒」としての鹿児島(原口泉)(鹿児島→奄美)と「内地」としての奄美(沖縄→奄美)

「独自の文化である「薩摩の黒」を生かして新しい時代を築き、誇り高き鹿児島になることを期待している。」
「奄美はこれからも生命を育む黒い輝きを増していくにちがいない。」

3)奄美と沖縄をつなぐ

「時代で言えば三百年、もうこれ以上の隔絶は想像もできぬほどであるが」、「かつて繋がっていたものが今も皆続いている」(柳田國男)

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