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2009/06/17

『まれびとたちの沖縄』

 東京から沖縄の尋常中学校に赴任し、伊波普猷が沖縄学への道を歩む大きなきっかけを与えた田島利三郎、琉球が日本になるために呼び寄せられたような源為朝、幕末の琉球で布教活動を行ったベッテルハイム、大正後期に沖縄芸能の価値を見出すも、戦時下では雅楽に傾斜した田辺尚雄。『まれびとたちの沖縄』で取り上げられているのは、沖縄にやってきて沖縄に痕跡を残していった人々である。

 なかでも、「おもろそうし」として知られることになる意味不明の文書を見出し、それを伊波普猷に託した田島の物語は印象に残る。

 そして伊波は序文(田島の本の-引用者注)のなかで、『おもろさうし』を世に出したいという決意も述べている。すでに柳田國男が来押しており、沖縄研究は注目されているが「オモロの研究は流行と何等の関係もない。人が読もうが、読むまいが、私の関するところではない。田島先生に対する義理ででもこれだけはどうにかして完成したいと思っている」。
 この言葉どおり、同じ年に伊波は『おもろさうし選釈』を出版。本の冒頭に「この小冊子を百七十年間埋もれし『おもろさうし』を掘出し給いし恩師田島利三郎先生」への謝意が述べられている。田島の資料、さらに尚家に保管されていたもの(一七一〇年ごろ謄写・現存最古)、また伸吉本といわれる写本を校合し、おもろ一五五四首のうち九十八首をえらび、解釈をしたものである。おもろのいきいきとした解説のみならず、うたわれた時代の歴史的背景、伝承や民俗学的見地からのアプローチもあり、今日的視点も採り入れられた。伊波の文章はわかりやすく、詩的な表現があることが特徴だがこの本にもその魅力があふれている。

 「人が読もうが、読むまいが、私の関するところではない」というのは、考えるということの無償性が生きているとともに、田島との関係の濃密さも思わせる。学と人と。かつてこういう関係はありえたのだ。

 しかしこの本は、総じて、それらの人々の具体像を浮き彫りにするというより、むしろ沖縄の表情を浮かび上がらせている。たとえば、「この国はある程度まで独立しているとはいえ、あらゆる点について日本の不可分の一部である」と、英国海軍軍艦の主教が、布教活動を行っていたベッテルハイムから教わった言葉を紹介することによって。

 ぼくたちは滞在者からの沖縄像をここに見る。

 十代後半から、この世にいない父と母のうしろ姿を追いかけるように沖縄の旅をつづけた。子どものころに聞かされたふたりの沖縄をじぶんの日でたしかめたかったのかもしれない。そんな私も沖縄を訪れる「まれびと」 のひとりだった。さまざまなひとに出会い、おどろき、いろいろなことを教えられた。まれびとたちと、沖縄との出会いが生み出すドラマに惹かれたのは、私じしんの旅の記憶ともかさなったからだろう。

 ここで、著者与那原恵は、ここに取り上げてきた「まれびと」に自身を重ねる。それはたとえば、「沖縄学。おきなわがく、とつぶやくとき、私は胸がしめつけられるような気持ちになる」と書くように、『まれびとたちの沖縄』から漂ってくる切なさの背景になっている。


 欲を言えば、個々の人物像が明瞭に浮かぶような突っ込んだ取材と考察がほしかった。とくに、

 一四五〇年、トカラ列島の中間に位置する臥蛇島は、なかば薩摩、なかば琉球に属する境界領域だった。そしてこの朝鮮漂流民の四人はふたりずつ、薩摩と琉球にふりわけられたという。それ以前の十四世紀に薩摩の領域は奄美諸島の徳之島まで南下したこともあるのだが、この時代は薩摩の勢力が臥蛇島まで後退していたということだろう。このことがしめしように、日本と琉球の境界は時代によって移動していたのである。

 こういう不用意なことは書かないでほしかった。
 しかしそれはブーメランのように自分に返ってくる。深呼吸するように考える時間を奪うのが現在の社会速度だから。


    『まれびとたちの沖縄』

Marebito

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