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2009/06/21

鹿児島のなかの奄美

 昨日の「奄美を語る会」の熱気を冷ますように雨が降っている。

 むかし学生の頃、与論から東京に戻ると、自然と文化と言葉と、その隔たりを一方の極からもう片方へとたどり着くのがきつかったけれど、それがぼくの生きる条件だと、ふたつの極をまたぐ技術を身につけようとしてきた。

 鹿児島から東京に戻るときはそういうことはない。むしろ、拘束から解かれるように心は自由な感じを覚えた。鹿児島に帰ると思ったことはない。そこはいつも行く場所だったし、これからもそうだろう。そしてそこは親類に会いに行くという点の場所だった。けれど、今回、「奄美を語る会」などを通して、会いたい語りたい人たちがいる場所という意味に少しだけ変わるような気がする。

 ぼくにとって鹿児島のなかの奄美とは、鹿児島と不可解にも同じ県のなかにある奄美の島々という意味だった。けれど、そこにはもうひとつの側面があり、鹿児島本土のなかにある奄美という意味があり、そこにも濃厚な奄美がある。そこで奄美がどう語られるかということは、ことの他重要な意味を持っている。そしてそこには、かつて奄美を表現する術を知らずにいた自分も入っている。そういうことに、気づいた。

 思えば、鹿児島で人前でしゃべって、それが肯定的に受け止められたのは(立腹した方もなかにはきっといたと思うけれど)、三十年ぶりに近いことだった。ぼくは、自分を追放された精神だと思ってきたから、受け入れられるということが不思議な想いだ。もっとも、それは「奄美」に向かって話したのだから自然なことといえばそうだ。鹿児島に、奄美は、ある。

 リムジンバスはいま、天王洲アイルをゆっくり進むところ。


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