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2009/05/01

「太平洋戦争は日本人が故郷に分散したものだった」

 ブログ「Myaku 脈」に教えてもらった埴谷雄高の言葉。発言自体は吉本隆明のインタビューのなかにある。

 日本人や日本語は奈良朝以後に変化し、それ以前の比較的古い日本語と比較的新しい日本語が融会して別のものが生まれました。過去を掘るといくつかの原点に達しますが、日本の場合はおそらくロシアのバイカル湖あたり、東南アジアあたり、ポリネシアあたりという三か所くらいで過去を滴る必要があると思います。埴谷さんは「太平洋戦争は日本人が故郷に分散したものだった」と書いていますが、これはある意味で当たっていると思います。周囲から得体の知れない者が集まって日本人になっていったわけです。(『変人 埴谷雄高の肖像』

 「太平洋戦争は日本人が故郷に分散したものだった」。

 ものすごくイメージを喚起する言葉だと思う。

 酒井正子は、沖永良部島のフズヌ祝に立ち会って、驚いている。

 国頭のフズヌ祝に立ち合っていて感じるのは、昭和の戦争や海難事故で亡くなった人がじつに多いということだ。シマびとの多くはいまもなお、その傷みを背負って生きている。(『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』

 その中の一人である島人は、結婚後すぐに夫を戦地で亡くす。それが受け入れがたく、彼女は夫の「戦歴」を調べ、書きうつし額縁に入れて飾る。「夫の遺言」にしているのだ。

 この国頭集落だけで九一人の戦没者を出している。暑さに強いという判断なのか、グアム、ガダルカナル、ブーゲンビル……と、南方の激戦地へ投入されていったのである。

 酒井はここでさりげなく「暑さに強いという判断なのか」と書くが、思わず立ち止まっていまう。ぼくの叔父二人も南洋で戦死したと聞いている。そこにも、そんな判断があったのかもしれないと思うからだ。しかしそこに埴谷雄高の「故郷への分散」という言葉を置いてみると、弱いながらも叔父たちの供養にもなるように思えてくる。

『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』12


 ちなみに『変人 埴谷雄高の肖像』は、埴谷雄高の「変人」ぶりもさることながら、埴谷という巨大な「変人」を鏡にして、インタビューに応える生前の埴谷雄高を知る27人の変人ぶりが、むしろ浮き彫りになっているのが面白かった。島尾伸三しかり、武田花しかり。

Henjin_2

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