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2009/05/19

「なぜ泣かなくなったか」

 「弔い泣き」の抑制について。

 最後に、なぜ泣かなくなったかという大きな問題がある。
 まず第一に、組織的な宗教が介在すると、弔い泣きは抑制されていく。徳之島では僧侶や神主が来るとクヤは遠慮される。日本復帰にともない、一九六〇年代頃よりその傾向が強くなったという。思い思いに発せられていたことばが、統一した祭式のことばに収赦されてゆく、とみることもできよう。
 第二に、日本本土からの親族の目にどう映るか、といった配慮も目立つ。ヤマトとの通婚が増え、葬式においても外部からの眼差しを意識せざるをえないのである。「歌なんかうたったりして、はしゃいでいるようでおかしい。喪主なんだから静かにしてなさい」とある母親は娘から言われたという。厳粛にすべきだという日本本土の規範の内面化がそこにみられ、世代による文化ギャップも大きいのではないだろうか。

 両方とも外的な要因として理解できる。大和に対する劣位意識と二重の疎外を踏まえれば、「泣き」の抑制は想像に難くない。

 第三に、火葬の普及という現在進行中の葬制の変化があげられる。琉球弧の葬送歌では遺体の存在が重要である。「生きているように」遺体に接するアニミズム的な観念が強いことは先に述べた。ところが火葬が普及し瞬時に骨化するようになると、そうした観念はかわらざるをえないだろう。奄美・沖縄共通して、火葬すると「さっぱりする」という言い方があることは注目される。土中だと骨も土色に染まるが、すぐに火葬すれば白くきれいな骨が得られるとも聞く。「さっぱりする」とはきれいに白骨化したことへの安堵感なのか、あるいは名残や情念が溶けてなくなるということなのだろうか。ともかく死生観の変化を象徴する言説のように思われてならない。

 風葬的な観念が火葬になることで被る影響は何か。それは、風葬における生者から死者への移行の時間性が消去されるということではないか。

 遺体がないと実感が湧かない、火葬骨では「情け」がない、というのが正直なところだろう。しかし与那国島では、火葬骨に対してあたかもそこに死者が横たわっているかのように声かけがなされていた。ちょうど変化の渦中にある二〇〇〇年(平成一二)の葬儀だ。島内には火葬場はないが、島外に運び火葬されて戻ってくる。同年に、そうしたケースがはじめて埋葬数を大きく上回ったのである。伝統的な死生観はいまだ持続しているかもしれない。しかし「情けをかけねばならない」という確固たる信念が将来どうなってゆくか、ということが問題の核心だろう。

 火葬によって、「情け」が失われるのではない。「情け」の重さが軽減されることはある。しかし、それ以上に奥底では、「情け」が抑制されるのを、人は我慢しているのではないかと思える。

 第四に、身体的感受やパフォーマンスの「間接化」と人間関係の「希薄化」という、現代的な状況がある。現代社会では情報化がすすみ、音や情報を人から人へ直接伝えるのではなく、マイクやオーディオ、電話やインターネットなどのメディアを介して感受し合うことが主流だ。私たちの身体は、直接、人に泣きかけるような表現をどんどん忘れていくように思われる。そうした「間接化」はじつはメディア状況だけでなく、死の看取りや葬送儀礼にも及んでいる。すなわち医者や聖職者、葬儀屋などの専門家の手にゆだねる部分が増大する一方なのである。琉球弧も例外ではない。

 間接化は「死の看取りや葬送儀礼にも及んでいる」のではなく、間接化による「泣き」の遠隔化が、「死の看取りや葬送儀礼」に象徴されているのだ。

 こうした状況は、直接的なコミュニケーションの機会を少なくする。そもそも泣くという行為は、その場にともにいる人の感情に直接訴えかける力をもつ。ところが目の前で泣かれ、心乱されることを現代人はむしろ疎ましく感じる傾向が強い。そう考えると「弔い泣き」は、濃密な人間関係や対面行為があってはじめて可能なことに気づく。概して琉球弧のシマ社会では、共同体的な土壌は本土に比べれば保持されているものの、人間関係の希薄化は進行している。このことが「哭きの喪失」につながっていよう。「ともにいる」ことは互いの「気」が影響を及ぼし合うことだ。看病や病気見舞いとは、病人の傍らにいてやることで周囲の人が病気の苦しみを分かち合い、生命力を分け与える相互行為だという。(中略)

 関係者がともにいて時間や空間を分かち合うことは、死の受容においても大切な基盤であろう。しかし現代においては失われつつある感覚といえよう。時間で区切り、物量を測り、段取りを優先する合理的な生活の中に私たちはいる。

 「今、悲しみに泣ける場所、泣ける人間関係がなくなっている。そうした関係の構築こそ大事だ」と僧侶の秋田光彦氏はいう。死別の悲しみを受け入れ、着地させるシステムとしての葬儀や「泣き」の形骸化。悲しみを本当に自分のこととして体験し、その上で解放されてゆくのが「喪の行為」の真の意味である。ところがそのことを十分はたせないまま、他人事のように機械的に日程をこなし、葬儀がすんでから喪失感にさいなまれ鬱に悩む人が多いという。現代社会に共通する問題をそこにみることができる。
 沖永良部のクォイの伝承者が、「泣くだけ泣いたらすっきりして、さあ、行きなさいという気持ちになる」というのは示唆的だ。まさに理想的な喪の行為の一端を示していよう。
 近代合理的な思考や生活態度が人間関係や身体表現のあり方をどうかえていくか、その結果私たちは現在どんな地点にいるのか。琉球弧の葬送歌は、そうした普遍的な問題を映し出す鏡なのである。(『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』

 酒井はここで、琉球弧の「哭きうた」とその喪失を、習俗とその変遷としてだけではなく、現在の社会を映し出す鏡として差し出そうとしている。

 なぜ、泣かなくなったのか。しかしそれはあまりに自明になってしまっているから、そう問うより、「泣くだけ泣く」体験が無くなってしまったことで何を失っているのかを考えたほうが身のためかもしれない。少なくともそれは、薄っぺらになってしまったぼくたちの言葉に見合っていると思う。
 

 『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』を父の書棚から拝借して、やっと読み、ぼくは父の三年忌に向かう準備ができた気がする。それは、読了というだけでなく、「哭き」についての酒井の考察の深さのおかげだ。感謝したい。


『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』18

 

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