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2009/05/26

若い世代の受け取り方が知りたい

 400年イベント。これまでのところ、総じて60代イベントになってないだろうか。

 先日、那覇で行われた「琉球処分130年を問う シンポジウム・大激論会」も、

会場は、全共闘時代をすごく闘って過ごしたであろう年齢層のかたが、250名ほど。
ほとんど9割方、シニア男性でした。会場を見渡すと、やっぱりその筋の猛者ばかり(笑)。
「琉球処分130年を問う シンポジウム・大激論会」

 だったようだ。

 midoriさんは、「薩摩の琉球侵略400年を考えるシンポ」のときも、ブログでレポートしてくれていた。現場の空気を知る数少ない手がかりで、ぼくはありがたく読んだ。

 今回も、「全共闘時代が忍ばれます。ええと、そういう、雰囲気。」とあって、想像しやすい(苦笑)。

 このテーマ、若い世代に共有されてないということだろうか。白けた傍観だろうか。核心がつかめないけれど、自分の問題に置き換えられていないのは確かだろうと思う。

 どのように引き継ぐのか。どのように受け取るのか。それを突き詰めていくのに、琉球の若い世代の肌感覚が知りたい。



 

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コメント

個人主義の時代ですし、若い世代にとって歴史問題とかどうでも良い事なんだと思います。

私(20代、奄美)の場合は、鹿児島本土育ちで、奄美にもたびたび帰郷しており、鹿児島本土と奄美の違い・問題をずっと肌に感じていました。
歴史を知らない子供のうちから、奄美のどこかから先は日本人とは少し違うと思っていたし、私も周りからそう思われている事を感じる事はありました。

奄美育ちの人がこの問題を抱えるとすれば
就職などで本土に出て、外見的な異質さへの眼差しを感じ、出身地の話などをする時だと思います。
奄美であれば鹿児島本土とは同じ文化はほとんどない。鹿児島県の文化を聞かれても返せない。沖縄に近いと言っても同じではないし、説明は出来ない。
まさに二重の疎外による失語を、奄美育ちの友達が、個人の問題として抱える事になるのを私は見ました。

でも、就職してからではその問題について考える余裕はないと思います。
歴史問題が深く係わっている事とかも、知りようがないと思います。
出来る事は、なるべく奄美の話題を避ける事だったようです。

新入社員にとって、出身地の話題はとても重要です。初対面で必ず触れる部分であり、まず話題をそこから広げる事が多いです。
ただでさえ琉球人は外見的に警戒心や好奇の目を持たれ易い。
島という環境で知り合いに囲まれて育ち、本土での常識とは少しずれている部分も多い琉球人にとって、それは致命的にも見えます。

私の奄美出身の同世代の知り合いの方は、多くが再就職をしています。
そこには、琉球人として抱えている問題が無関係ではないと思っています。

本当は直接会ってみんなに話を聞いてみたいのですが
本土育ちの私は問題を認識していても、島人との関係がとても薄いのです。
本土育ちの私にとっては、本土人からは琉球人として異質に見られ、琉球人からは本土人として異質に見られる。という二重の疎外と失語があるんです。
また、知ったところで今更どうしようもない。知らないなら知らない方が悩まずに済むとも思っています。

琉球の問題を日本や国連に訴える事はとても大事な事だと思います。
しかし、そこには長い時間と、歴史問題を蒸し返す事への内外からの嫌悪の目があると思います。
私はそれよりも、琉球人の子供が劣等感を抱いて生きていないか
大人になってから本土人と対等・平等に渡り合う術を見に付けているのかが気になります。
劣等感で押しつぶされる子供が減り、失語がなくなって行けば、若い世代にも琉球の問題を語り合う余裕とチャンスが生まれるのではないでしょうか。

投稿: 匿名 | 2009/06/01 02:21

はじめまして、以前からずっとこちらのブログを拝見させていただいておりました。
30代後半の名瀬市生まれの男です。

喜山さんの本を読んだらコメントさせてもらおうかと思ってたのですが遅くなってしまい、今日・明日にでもやっと入手できそうなので、とりあえず初コメントさせていただきます。

率直に私は島と鹿児島本土に対する思いは複雑です。
私の両親は徳之島の人間で、私も奄美人(島んちゅ)の意識があるのですが、オヤジの仕事の関係で島で過ごしたのは小学校上がるぐらいまでです。
それ以降は鹿児島県内を名瀬市から大隅半島、鹿児島市周辺までいろんなところを引っ越しました。

なので朝鮮半島の方々風に言うと、本土で育った私は在日奄美人二世みたいな気がしてますので、島と本土に対する色々な思いがあっても、なかなか率直に声をあげるのをはばかる気持ちがずっとありました。
しかし、鹿児島本土と島は人の流出入もますます活発になってますので私のような人間もいるだろうと思い、今回1人の意見としてコメントさせていただきます

私の家庭が普通なのか特殊なのか分かりませんが、本土の方にいても家の中では親同士は島口で話し、親が毎日のように島にかける電話も島口、毎晩焼酎を飲んではオヤジが唄う島唄を聞かされていたので家の中は島の雰囲気で私は島んちゅの血を感じずにはいられませんでした。
オヤジが宴会好きで、近所の島の人たちがしょっちゅう家に集まっては島唄でにぎやかにやってましたし。

島の親類はみな徳之島におりましたが、不器用なくせに血の気が荒く(私もですが)、もめごとが多く、島に帰ると何かと騒ぎがあり(墓のことや祖父祖母の面倒を見ること、島を捨てた人間だと親が罵倒されたり)、一族みなが幸せで笑顔がいっぱいだという思い出があまりありません。

親は私になるべくそういう島のゴタゴタから離れさせようとしたのだと思いますが、幼い私はそういう雰囲気を感じて逆に隠れて親の書棚から島の書物を読んでは衝撃を受けてました。

南島雑話や大奄美史などもありハンドルネームも感銘を受けた昇曙夢先生から拝借してます。
安達征一郎さんの小説や島尾敏雄さん関連の本などたくさんの島関係の書物もありましたので、本土にいても自然に島の雰囲気を感じていました。
島の書物で一番印象深かったのがウロ覚えなのですが『我、島んちゅを愛す』という本土の教員の方?が書かれた、島に赴任してからの島の人間との葛藤の日々が描かれた書物で、島にとけこもうとした本土の人と、昔の島んちゅの島に対する執着や自分たちの生活・文化に対する誇りのぶつかりあいが生々しく描かれている書物で、ものすごいパワーに圧倒されたことを覚えています。

おそらく、私たちぐらいの世代(1970年代生まれ)からちょうど民放テレビが島でも放送されるようになり、本土との意識の格差が劇的になくなったのだろうと感じてます。
私は率直に言って島にあったものが消滅していってるのが残念です。
誤解を恐れずに言うと、本土から来た人間が新しい島んちゅを名乗り、島のPRをし、不器用な根っからの島んちゅが死んだ目をして奄振がらみの本土の企業の仕事にやる気のない態度で臨み、お役所は本土の目を窺いながら明るい鹿児島の奄美群島をアピールするのに汲々とする様は黒糖地獄の時代と何ら変わりない精神性だと思います。

島からの発信は明るい面ばかりなので、憎しみや怒りなどのドロドロした面も本土や日本にぶつけてみて反応を見たい気がします。

私が覚えている島の印象は雨が多く、ジメジメとして深い緑の暗い印象なのですが(実際暗い騒動ばかり)、暗い顔つきをしていても大きな目に吸い込まれるような深く黒い瞳をした野性味あふれる島の人間が、ふてぶてしくも狭い島の中で日々生々しく生き抜いている姿です。

このままでは奄美群島は奄美人の誇りある島々ではなく、ただの鹿児島県の一離島になっていくような気がします。発信もそんなのばかりです。ただ、私は今現在島では生活していませんので…本土からの印象なのですが。

島で生活もしていない、本土で活動している奄美会や島の集まりにもあまり顔を出していない自分のような人間が大きな口を叩いてしまいましたが、島の血が流れているのをどうしても自分に感じますのでコメントさせていただきました。
失礼いたしました。

投稿: syomu | 2009/06/01 07:16

> 匿名さん

確かに、歴史は知らずに済むならそれでいいんだと思います。
何も躓かずに生きていけるなら、それがベストです。
若い世代の反応が気になると書くぼくですら、
40代の半ばまで奄美の歴史を知らずに済ませてきた訳ですから。

でも、こういうことは言えるなと思うのは、
ぼくたちは歴史を引き受ける義務はないけれど、
歴史を引き受ける自由はあるということです。

何も知らないとき、息苦しさを感じていたのは、
消極的にであれ、歴史を引き受けてきたのだと思います。
でも、知ることを通じて、
ぼくは積極的に歴史を引き受けられそうに思っています。
失語を克服する筋道が考えやすくなった気がするからです。

ぼくが最初にきつさをいちばん自覚したのは17才のときですが、
今回書いた本は、17才の自分に向けて書いているところがあります。
読んでいたら、少しはラクになったろうと思い。

もちろん、元ちとせや中孝介の活躍をみても、
知らずに克服してくことはできます。それこそ、個々人の努力で。
ただ、知るということは、
何を克服したのかを充分に味わわせてくれるはずです。

「知ったところで今更どうしようもない」かどうか、
長い目で考えてみてほしいと思うのです。


> syomuさん

ぼくも、「島で生活もしていない、本土で活動している奄美会や
島の集まりにもあまり顔を出していない」口です。

でも島を強烈に意識せざるえをえないのは、
島を出た人間の宿命のようなところがありますよね。
かの地とこの地の隔絶感が強いほど、
島とは何なのか、考えざるをえないところがあります。

そんな立場の者にできるのは、
島の人の沈黙の声をよく聞き取って、
それを言葉や形にしていくことではないかなと思っています。
その過程で、こちらの課題も解決の糸口が見えるという面も
ありますよね。

『我、島んちゅを愛す』、読んでみたいです。
著者など分りましたら、ぜひ教えてください。

それから、『奄美自立論』の感想も聞かせていただけたら
嬉しいです。

「誤解を恐れずに言うと」のくだり、迫力を感じました。
コメントありがとうございます。

投稿: 喜山 | 2009/06/01 12:09

お返事ありがとうございました。
昨日の晩、リブロ池袋本店で購入しました。

以前から何度もコメントさせていただこうかと思ってまして、いざ書き込もうとしたら直前に20代の匿名さんの書き込みがあったので驚きました。

本の感想は読み終わってからさせていただきます~。
あ、それとはてなのブックマークを最近活用しているんですが、喜山さんらしき名前を見かけましたのでお気に入り登録させていただきました。
それでは!

投稿: syomu | 2009/06/02 18:01

syomuさん

お返事遅くなってごめんなさい。

ぼくもびっくりしました。期せずしてお二人から、それぞれの世代の声を聞かせていただいて。シンクロですね。

感想、ぜひ教えてください。
はてなのブックマーク、仕事柄、体感の必要あってやってみたのですが、放ったままでした。お気づきいただき、ありがとうございます。

投稿: 喜山 | 2009/06/08 08:40

喜山さんこんにちは。
本は何度も読み返してます。

豊富な文献にあたられて密度が濃く、それ以上に島の人間の声がぶれずに貫かれてあって本当に素晴らしいです。
通史的にも分かりやすく、佐野眞一さんの出版されたばかりの本にも触れられてある。
奄美の学校の民族教科書と言ってもいいぐらい感動ものですよ。

山下欣一さんの島唄や民俗学的なアプローチ、山下文武さんの丹念なフィールドワークに基づいた歴史学的なアプローチ、安達征一郎さん、水野修さんの文学的なアプローチ、諸先輩方の本もできるだけ読むようにしてきましたが、こんなに身近に感じる本は正直に初めてでした。
血のつながりや本土での生活など、島の人間としては島の思いを正直に鹿児島本土にぶつけることができないワジワジ感がある中で、筋を通して主張されているこの本に貫かれた姿勢こそ今必要だと思います。

佐野眞一さんの『沖縄 誰も書かれたくなかった戦後史』も同時に読みすすめましたが、山中貞則さんの奄美を頭越しにした沖縄への謝罪の姿勢は本当に理解できません。
私は大隅での暮らしも長かったので、薩摩に対する大隅からの二階堂さんや山中さんの泥臭い人間的な部分は魅力でもあったのですが、奄美はなぜ取り残されてしまうのでしょう。

僕も拙いブログを始めてみました。
喜山さんの本の内容も少しずつテキストにして発信していこうかと思いますので、よかったら見てください。
素晴らしい本をありがとうございました。

投稿: syomu | 2009/06/12 12:01

syomuさん

深く読んでくださり、ありがとうございます。

ぼくもsyomuさんの考えや体験を読めるのは、とても嬉しいです。ブログ展開を楽しみにしています。

大隅からは、二階堂さんや山中さんはどう見えたのか。いつかそんなことも聞かせてください。

投稿: 喜山 | 2009/06/14 10:19

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