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2009/05/18

『雲はかせ 命の十のしつもん』

 ぼくの感じ方だと、『雲はかせ 命の十のしつもん』で、十個までどんな質問にも答えるという雲はかせの答えのなかで重心をなすのは、命は大切だということに続ける次の言葉だと思う。

「お前さんが生まれるまえにはな、おじいちゃんがいて、おばあちゃんがいて、お父さん、お母さんとずーっとつづいておるんじゃ」

 この答えは、「人間は、なんでびょうきになるの?」という、ゆうたの問いに、「びょうきはな、命の大切さを気づかせるためにあるんじゃよ」という問答を入口にしてやってくる。話を追うと、ゆうたは母の病気に胸を痛め、一連のといかけをしていることが分かる。雲はかせはそれを知りつつ、子、父母、祖父母、とずっと続く連鎖のなかに、ゆうたも母もいることを告げて、孤立した存在ではないつながりと、にもかかわらずそれぞれの生はそれぞれで担うしかない、それゆえ意味があるということを伝えようとしているように見える。

 少なくとも、作者は生の意味に懸命に近づこうとしているのだと思う。
 その気持ちが、重過ぎもせず軽すぎもせず、微風のように優しく伝わってくる絵本だ。

 ただ、ゆうたと別れた後、雲はかせの舞台裏の世界を描く第6、7章は不要だと思う。これが無くても、雲はかせと別れたあとのゆうたの余韻のなかに、舞台裏は充分に想像できる。もっといえば、「あとがき」も要らない。説明しなくても、作者の意図は充分伝わるからである。

 しかしこれを欠点とは言いたくない。作者のこの作品への想いがあふれた後半であり、あとがきだろうから。

 作者は、奥付で、「1983年、与論島生まれ」と自己紹介を始めるが、ぼくはここで驚いた。ぼくは、自分のプロフィールを書かなければならないとき、「1963年、与論島生まれ」と、書き起こしてきた。そのあとはいつも白紙というか、何を書くべきか困るのだが、これだけはわずかな自分の証だというように書いている。それと同じものを見た気がして嬉しい驚きが過ぎった。与論島であることが大事な人がここにいる、と思った。

 作者は、山が無いので止まることが少なくいつも風に流れてゆく与論島の雲を何度もなんども眺めて、「雲はかせ」を心のなかに育てていったに違いない。そのなかで何度もなんども問いかけては答えようとした自己問答を作品として結実させていったのだ。ぼくは20年前の自分を思うと、ここまで感じここまで書くことは到底できなかった。


 ※作者は、ポストカードを販売している。「あきぽえむ.com」
  これは、江戸っ子マサさんのブログで知った(「頂きもの」)。

  作者のブログ 「あきことば集」


『雲はかせ 命の十のしつもん』

Kumohakase

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コメント

いい本ですね。作者は与論島の方ですか。「お前さんが生まれるまえにはな、おじいちゃんがいて、おばあちゃんがいて、お父さん、お母さんとずーっとつづいておるんじゃ」。子ども達に伝えていきたい言葉です。やはり、命ですね。

投稿: tssune3 | 2009/05/19 08:12

tssune3さん

はい、応援したい本です。

それにしても、商品にばかり向き合う仕事をしていると、子どもたちに向き合う仕事は、偉大だなと思います。

投稿: 喜山 | 2009/05/19 09:03

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