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2009/05/25

「琉球処分130年を問うシンポジウム・大激論会」

 400年と130年のうち、昨日那覇で行われたのは130年に力点を置いたもの。ネットでは沖縄タイムスでまず、記事が確認できた。

 「琉球処分130年を問うシンポジウム・大激論会」

「琉球処分130年を問うシンポジウム・大激論会」(主催・薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会)が24日、那覇市民会館中ホールであり、参加者が近代沖縄の歴史的歩みを踏まえながら、日本と沖縄との関係や自己決定権の在り方について意見交換した。

 基調講演では琉球大学名誉教授の金城正篤氏が琉球処分の評価について、1950~60年代、主に「民族統一」の視点から理解がなされたことを紹介。「同時期に『民族』の問題が提示されたのは復帰運動の高まりが背景にあった。米軍支配や沖縄復帰などの社会問題に直面した時、研究者間でも琉球処分の歴史的評価が現実の問題と重ねられて考えられた」と指摘した。

 またパネリスト報告では福地曠昭氏、宮城弘岩氏、平良勝保氏、後田多敦氏の4人が意見発表した。

 宮城氏は薩摩支配下の経済状態について報告。薩摩と比較して、琉球が海外貿易によって豊かな国だったとして「薩摩支配によって琉球は自由な貿易経済から生産性の悪い農業経済に移行した。その結果、農業経済によって自立できない沖縄の窮乏化は現在まで続いている」と強調した。

 また平良氏は琉球処分と宮古・八重山の扱いについて発表。分島問題(処分後に日中間で浮上した琉球諸島の割譲案)が宮古・八重山には何の説明もなく話し合われたことなどについて説明。「われわれは自分自身を見つめることでしか未来像を築けない。今後は地方役人の中間搾取など沖縄内部の歴史も考えるべきだ」と指摘した。

 琉球が国家としての日本に対し、異議を持つ最大の契機になったのは、国家としての日本への編入である、いわゆる琉球処分だと思う。このことが先鋭に問われなければならなかったのは復帰のときだったが、「日本民族」という理念のもと、その問いは伏されてしまった。その背景は、沖縄も奄美も本質的には変わりない。

 だから、「日本民族」という概念に煩わされてきた琉球が「琉球民族」を措定したく思うのは、心情はよく分かる。ただ、ぼくは、「琉球民族」が「日本民族」を後追いするナショナリズムに陥いれば、魅力は無くなると思っている。

 一方、奄美は、奄美としての琉球処分という視点を見出すべきだと思う。


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