続々、「ゆいまーる琉球の自治in沖永良部」
「ゆいまーる琉球の自治in沖永良部」のレポート・ウォッチングを続ける。
向原社長は、奄美諸島にこだわった多くの手堅い本を出版されており、先日も喜山さんの『奄美自立論』を出版しました。鹿児島において400年に関する関心が大変低いことを指摘されました。また関東武士団である島津氏が鹿児島にやってきて、地元民を支配したのであり、「薩摩藩」ではなく、「島津藩」の侵略という言い方が適切であるとの問題提起をしました。社員とともに農業もされており、本島に地域に根ざした編集者だと思います。
鹿児島の低関心は、残念だが予想に違わない。しかしそれに呼応するように、奄美が失語のままだったら事態は絶望的だったろう。奄美の発語がまがりなりにもあるから、ぼくたちはその発語の中身を問うことができる。
上原兼善は、先日出版した本では、『島津氏の琉球侵略』と、「島津氏」を採っていた。松下志朗は、たしか、「薩摩藩」という呼称があったわけではなく、明治期に代わるわずかな期間、存在しただけであるとして、『鹿児島藩の民衆と生活』では、「鹿児島藩」という呼称を使っていた。ぼくはそこで呼称の根拠が確かではないことを知り、『奄美自立論』
では、共同幻想の意味で「薩摩」という言葉を用い、藩を指すときには「藩としての薩摩」という言い方にしたと思う。
出村さんが鋭い意見を述べてくれました。鹿児島の教員、公務員は奄美諸島にくるとき「僻地手当」をもらうが、奄美諸島の教員等が鹿児島にいっても「僻地手当」を貰わないのはなぜか。そもそも「僻地手当」という名前が差別的である。鹿児島に県庁等の行政の拠点があると、遠く離れた沖永良部から時間、費用のコストがかかりすぎる。特に和泊町の学校では西郷隆盛の肖像を掲げているが、それは一種の「洗脳」ではないか。島が明治維新に貢献したことよりも、島が砂糖地獄によって大変苦しんだことをこそ教育してほしい。
そういえば、「僻地手当」という言葉は何度も耳にし、その都度、苦い思いが過ぎったのを思い出す。
少し筋を違えた話にしてしまうが、与論には西郷は来ていないおかげで、西郷の「肖像」もない。小さな島のこと、間違って来島などしていたら、鹿児島での異様さ、大島、徳之島での扱われ方を見ても、その影響は大きかったろう。西郷信仰から距離が取れるというのは、与論の宿命でもあれば幸運でもある。ぼくにとっての西郷隆盛も、田中角栄と同程度の距離感だ。もっとも、肖像から伺えるあの風貌に角栄とは違う親近感を覚えるのは確かである。西郷の遠島とは西郷の帰省であったのかもしれない。
私は今回船で沖永良部に来ましたが、沖縄島北部と沖永良部が非常に近いことを実感しました。北山文化圏という共通性もあり、今後、人と人との交流が盛んになれば、県境を越えて実質的な島嶼間の連合ができると思います。
先日も「やんばる駅伝」が伊平屋島で行われた(「金口木舌」)。キャッチフレーズの 「やんばるはひとつ」は、島をつなぐ言葉としては違和感があるが、語感は好きだ。
レポートを追いながら、沖永良部には、農だけでなく、思想についても議論の積み重ねから実りをもたらす土壌があるのを感じる。
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コメント
泡盛飲んでいます。
田場さんとの交流で
やんばるに 酔いました。
今日の お客さんは
青森の 陸奥のお方でした。
縁とは不思議。
漢字の 間違いは
笑ってゆるして・・・。
昨日 誕生日を 祝っていただきました。
感謝 感激。
ありがとう。
31日 郷土研究会の総会。
那間シヌグ 町 富秀氏 の
研究発表で 与論の歴史が開けていくと思います
応援 よろしく。
あしからず そうろう・・。
もう いっぱい 飲んで 寝ます。
投稿: awa | 2009/05/29 22:02
awaさん
田場さんともお会いしたのですか?
楽しかったんじゃないでしょうか。同席したかったです。
昨日は郷土研究会でしたね。
いかがでしいたか?
資料がありましたら、ぜひ読んでみたいです。
投稿: 喜山 | 2009/06/01 12:08