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2009/05/14

改葬洗骨のこと。「面影ぬたちゅい」

 改葬洗骨のこと。

 遺骨は太陽の光にさらしてはならないといい、早朝よりとりかかり、陽が射してくると傘を差しかける。石塔を倒し、掘り起こす力仕事は男が行い、骨を上げたり洗ったりする仕事は女がする場合が多い。しかし与論島や与那国島などでは、とくに分担は決めず男女共同で骨を洗う。霊質もしくは生命力が宿るとされる頭骨はとりわけ大切に扱われる。出てくると「オガマレタ」として近親者がとり上げ、丁重に洗い上下の歯をアゴの骨にのせてきれいにそろえる。真綿でくるみ近親の娘などに抱かれると、生前の面影が彷彿として、「ハープチー(あれえ)、そっくりじゃあ、面影ぬたちゅい」と思わず手を合わせ、涙しない者はいないという。亡くなった人にまた会えるという神秘であり、清々しさもまたひとしおである。

 こういう解説を読むと、おととしの祖父の洗骨を思い出す(「再会と別れと-21世紀の洗骨」)。島尾ミホの『海辺の生と死』も、「洗骨」の話があるだけで価値があると思った。

 琉球弧では、長く風葬・洞穴葬が行われ、大気中に遺体を置いて白骨化を待った。亜熱帯の洞穴では腐敗は早く、四十九日で洗骨したとも伝えられる。一七世紀末境に中国から伝わったとされる沖縄の亀甲基も内部は空洞で、遺体を地表に安置して空気にさらすという骨化の原理は風葬と同じである。
 奄美では一八世紀以降、薩摩藩より土葬政策がおしすすめられ、最後まで洞穴葬を行っていた南二島にも、明治期に鹿児島県より「葬式諭達」(風葬禁止令)が出された。しかし「暗い土中に親を置いておくのはしのびない」と非常な抵抗感があり、その改変は容易ではなかったという。現在でも洗骨の前夜に「いままで暗い、きたないところで寂しかったでしょう。明日はきれいにして差し上げますからね」と死者に呼びかけるのは、そうした心情の表れともいえよう。
 奄美は土葬後に洗骨改葬を行うためか、洗骨のとらえ方はそれほど否定的ではない。「親だから嫌だともきたないとも思わないんですよ」という。しかし「いまどきの若い者にはとてもできないだろう」との認識では一致している。「焼かれたくない」という気持ちは強いものの、万一そのまま土中に埋めっぱなしにされたりしたら大変だ、ということで、親はしぶしぶ火葬に同意する。あるいは、子供は、生前は親には「しない」と言っておきながら、葬儀がすめばそのまま火葬場に直行、というケースもあるという。

 ぼくも洗骨について否定的ではない。そして自分もそれに属する側として、「若い者にはとてもできない」と思っていた一人だが、祖父の洗骨を経験して、そうではないかもと思った。いとことはいえ、二十年近く年下の孫たちは、それこそ真剣に愛おしそうに改葬、洗骨に参加していて、心から参加したいと思っているのが伝わってきた。新しい世代の改葬洗骨もありうるのかもしれないと思えたのだ。

 一方、ついに与論も突入した火葬について、

 しかし火葬を単純に複葬体系の否定として位置づけることはできない。火葬により、瞬時に「きれいな骨」が得られることへの満足感があるとも報告されている。ある意味で「骨の浄化」という洗骨の理想に合致するからではないか。

 酒井はこう仮説するが、そうかもしれない、と思う。内観しながら事態を追ってゆきたい。


『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』16

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コメント

洗骨はまだ行われているんですね。南方系の風習でかつては日本国内でも行われたようですが興味深いです。

投稿: Quistis | 2009/11/19 03:19

Quistisさん

はい、行われています。ただ猛烈な勢いで火葬に流れているので、洗骨を見られる機会も希少になっていくと思われます。残念ですが。

投稿: 喜山 | 2009/11/23 12:00

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