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2009/05/28

続、「ゆいまーる琉球の自治in沖永良部」

 松島さんが「ゆいまーる琉球の自治in沖永良部」をレポートしてくれるおかげで、新聞記事だけでは物足らないところが詳細化されて嬉しい。

 「沖永良部島の集い 8」

次に報告された皆吉さんは、祖父、父親の代から南琉球と沖永良部島との関係を強めるための活動をされており、皆吉さん自身も沖縄州への沖永良部島の統合を主張されました。他の参加者からも南琉球に対する熱い思いの声が出て、私自身、面映ゆくもあり、また同じ琉球文化圏の仲間であることも改めて感じました。

 前回の繰り返しになるが、まず率直な表明に心を動かされる。これは、自然と文化の親近性が4世紀の境界でも失われていない強さを示すと共に、それと隔たってあることの苦痛を両方、意味しているのだと思う。松島さんの面映ゆさも伝わってくる。

ただ、道州制という法制度が実現すれば、繁栄する、自治が実現するのかという疑問があります。道州制は国主導の「地方分権化」政策であり、市町村合併の拡大版でしかありません。国は大きな権限の移譲をせずに、補助金だけを減らすでしょう。

 地方自治という理念に照らせば、道州制はあるべき方向だと思う。そこでぼくたちは、奄美が九州に組み込まれるのは失語の永久化に思えて危機感を持つ。あとはいつものように時勢はいつも島の小ささを吹き飛ばすようにやってくるので、焦ってしまう。そこで、松島さんの分析にはっとするのだ。

また沖永良部島が沖縄州の一部になった場合、沖縄諸島の北部に位置付けられます。そうすれば、米軍基地の移設場所、軍事訓練場として島が使われ、さまざまな事件事故が発生するおそれもあります。沖縄と一体になるということは、基地を引き受けることとセットになるおそれも高くなると思います。

 「覚悟」という新聞記事のひと言と異なり、ニュアンスが伝わってくる。基地の引き受けとセットになる可能性というのは、確かに勘定に入れる必要のあることだ。

県境を越えた経済的交流、文化交流を住民自治によってさらに深めていく必要があります。このゆいまーるの集いも、島嶼間の連合を強化することが目的の一つです。

 ぼくも、政治がどうあれ、経済、文化交流を進めることは重要だと思う。それこそが必要だ、と。

宮當さんも、南琉球と沖永良部島との言葉が同じであり、皆が住みたいと考えている沖縄とさらに交流したいと発言されました。他方、沖縄の人は沖永良部島のことをよく知らない、どこにあるのかわからない人が多いとも指摘されました。南琉球の人の目が奄美を飛び越えて、日本本土に注がれているのではないでしょうか。反基地運動、近代化への希求にしても。奄美をどのように沖縄の人間が認識しているのかが問われています。

 これは両者に共通している。奄美も沖縄も本土に視線を向ける。だから、お互いが視野に入らない。

400年の植民地支配は、現在、そして将来の問題と直結しているのであり、400年間の植民地支配を打破できるのは自治しかないという確信が私の胸にわいてきました。

 「400年の植民地支配」というくくり方は、アイヌ、南琉球、奄美それぞれの差異が削がれる分、乱暴な印象を受けるが、確かにその視点からは自治が必要であることはよく分かる。

◇◆◇

 失語を克服するのはどんな声だろうか。いままで奄美は、特に北奄美は、その言葉にならない叫びを、島唄に託してきた。唄ではなく言葉にするとしたら? 叫びを秘めた言葉をたどたどしくても口に出すこと。小さな声でもいい。そんなことを思い浮かべる。


 

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