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2009/04/24

「歌あそび」はある意味で命がけ

 酒井正子は、「歌あそび」は「あそび」なのではなく、「命がけ」なのだという。

「歌あそび」はある意味で命がけで、とくに他シマではそれとわからぬようにクチ(呪いのことば)を入れられたり、サカ歌(邪術の歌)を仕掛けられたりする。本当に安心して掛け合えるのは、ことばを共有する同一集落の、より厳密には親族同士なのだ。レパートリーや歌詞も共有しているから、継ぎ歌もスムーズで、掛け合いがうまく続いていく。『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』

 歌あそびが命がけになるのは、そこに呪術性が潜んでいるからだ。「歌あそび」から呪術の要素が抽出されることで、歌が人と自然の関係を深く結ぶものであることが捉えられようとしているのだ。

ともあれ琉球弧ではことばや歌謡による表現は、本土に比べ非常に豊かだといえよう。とりわけ徳之島は、ことばや歌謡が死の文化の中で大きな位置を占める特異な地点なのかもしれない。
 徳之島は、「サカ歌」や死にゆく人を慰める「トゥギ」の歌あそびの習俗(後述)にみられるように、歌の呪力が強く感じられる土地柄である。霊との交流もまた、歌の力によってなされてゆく。霊との離別は段階的、具体的であり、葬送歌のあり方は、そうした段階と緊密に呼応しているとみてよい。徳之島の豊かな伝承をとおして、葬送歌の中に(供養歌)と(哀惜歌)の二ジャンルを見いだすことができた。

 確かに、ぼくも琉球弧は唄の島だと感じてきた。これほど、「ことばや歌謡」が豊かな場所をぼくは他にあまり知らない。しかし、そこに呪力のありかを見いだすことはいままで余りしてこなかった。それだけに「歌の力」による霊との交流という視点はわくわくしてくる。そういう視点があればこそ、葬送歌に「供養歌」と「哀惜歌」の区別を抽出することができたのだと思う。


『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』 6


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