娑婆の人があまりにも人らしくなくなっているから
「娑婆の縁がつきて」(親鸞)他界する前に、縁(えにし)が尽きることはいくつもある。縁(えにし)が尽きるのを待てばいいこともある。でも、ぼくは与論人(ゆんぬんちゅ)だから、与論との縁は消えない、と思う。
ビートたけしのフライデー事件を、吉本隆明は「無意識の自殺」と評したけれど、草なぎ剛の行為にはそれは感じられない。むしろ、娑婆の人があまりにも人らしくなくなっているから、人らしいことを、彼はしたのではなかったか。そして、人らしさから対極的に離れてしまった亡霊が「最低な人間」と彼を評して、実は自己紹介してしまったのではなかったか。
この数年、ぼくは半分、死人のように生きている。東京は雨。山川さん、水間さんの歩く与論島も、今日は曇りだという。けれど、ぼくは数年ぶりに青空を見上げるような気分だ。生きなければ。
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コメント
楽園荘から今先帰宅しました。
縁があるから出会えるのだろう。
「あの人に会いたい」 そんな奄美を求めて。
中座して 隣の カルピス企画に賛同してきました。
七夕祭りに 銀河の夢をのせて
夏の夢を語りたい。
山川さん、水間さんのご紹介 ありがとう。
名刺の整理ができないでいる状態ですが、いろいろとお世話になります。
投稿: awa | 2009/04/25 22:55
awaさん
こちらこそありがとうございます。
奄美縁を深めたいですね。
投稿: 喜山 | 2009/04/26 22:28