« JANJANで『奄美自立論』の新刊プレゼントです | トップページ | 徳之島のポスター踊る »

2009/04/14

津代の慰霊の詳細なレポートを読みたい

 「奄美の家」日記で「笠利町で慰霊祭とシンポジウム」の記事があり、4月12日に行われた「笠利町津代の戦跡を顕彰し、慰霊するゆらい」に関する報道がまとめられているので、ありがたく拝借。

 南海日日新聞

 2009年は薩摩軍の奄美、琉球侵攻から400年の節目にあたる。奄美大島の「三七(みな)の会」(事務局・森本眞一郎さん)は12日、薩摩軍が上陸、戦闘があったといわれる奄美市笠利町津代で「慰霊のゆらい(集い)」を開催した。参列した人々は戦闘で犠牲となった先祖の霊を慰めるとともに、「400年を奄美の将来を考える契機にしよう」と訴えた。【詳細は本紙】

 「奄美の近世振り返ろう」 薩摩の琉球侵攻から400年 有志、古戦場跡(笠利町)で慰霊(西日本新聞)

400年前、琉球侵攻のため南下した薩摩藩が上陸したとされる鹿児島県奄美市笠利町笠利湾の津代(つしろ)の古戦場跡で12日、戦跡を顕彰し、先人を慰霊する地元有志による集いがあった。
■島唄奉納、歴史語り合う

 集いでは、元笠利町長の朝山毅さんが「戦後も奄美出身と言えない時代があった」と歴史の検証の必要性に触れた。無縁仏が眠る墓地に向かって島唄が奉納され、参加者がソテツの葉を手向けた後、近くの集会場で「大和世(やまとゆ)」と呼ばれる薩摩支配の奄美の歴史について語り合った。
 薩摩藩の軍記などによると、薩摩の軍勢約3000人は1609(慶長14)年に山川港を出港。当時、琉球王朝の支配下にあった奄美の島々を征服し琉球に侵攻した。
 慰霊の集いは「現代につながる奄美の近世を振り返ろう」と始まり、今年で13回目。薩摩侵攻400年の今年は、5月2日に最も激しい戦闘があった徳之島で、地元自治体が主催する歴史シンポジウムが開かれる。

 琉球侵攻の戦没者を慰霊 奄美・笠利(南日本新聞)

1609年に薩摩が琉球侵攻の第一歩を記したとされる奄美市笠利の津代(つしろ)古戦場跡で12日、戦没者の慰霊祭があった。県内外から約100人が参加、奄美の歴史が大きく転換した400年前の戦いを振り返り、名もなき先人に手を合わせた。

 有志でつくる「三七(みな)の会」主催で、薩摩が上陸したとされる旧暦3月7日ごろ行われている。1997年に長く放置された人骨が多数見つかり、同会は琉球侵攻の戦没者として慰霊を続けてきた。
 同会の薗博明さんが「先人が子孫を守ろうとして戦った歴史を振り返り、これから奄美はどう生きていくべきか考えたい」とあいさつした。

 ただし、個々の記事は短く、当日の模様がよく伝わってこない。何がどう話されたのか、詳しく知りたいものだ。もちろん、400年の向こう側へ歩み出るために。南海日日新聞の「本紙」に詳しいのかもしれない。


|

« JANJANで『奄美自立論』の新刊プレゼントです | トップページ | 徳之島のポスター踊る »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 津代の慰霊の詳細なレポートを読みたい:

« JANJANで『奄美自立論』の新刊プレゼントです | トップページ | 徳之島のポスター踊る »