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2009/04/23

『沖縄力の時代』

 『沖縄力の時代』。素朴、古さ、牧歌ということを思った。

テレビドラマや映画で、黄門様が琉球(沖縄)まで足を運ぶ場面があったかどうか。
千回を超すテレビ番組を調べてみたが、北は北海道の松前藩から、南は鹿児島の薩摩藩まで、全国津々浦々を回っているのに、さすがに琉球(沖縄)は漫遊していない。
 そこで考えてみた。もし、黄門・琉球編があったとして、格さんが、
「この紋所が日に人らぬか」
 と大声を上げたとき、ドラマはどんな展開になるだろう。
 悪党らは、土下座するどころか、
「うり、ぬーやが(それ、なんだい)」
 仲間と顔を見合わせ、なにがなんだか分からないで、きょとんとしているに違いない。恐れおののいて、土下座するのは薩摩から派遣された役人だけだろう。時の最高権力者である徳川将軍家以外の使用は、厳しく禁じられていた葵紋の「ご威光」も、琉球ではまったく通用しないだろう。
 それは現在でもほとんど変わりない。琉球古典芸能を学んでいる青年が、葵紋と、五百円硬貨にも刻印されている桐紋とを、混同していたように。
 ここぞ、という場面で葵の御紋の印籠を取り出した黄門様ご一行は、琉球の悪党にはまったく効果がないと知って、一気に青ざめるのではないか。多勢に無勢。助さん、格さんは、いかに窮地を脱するのか。番組終了まで残された時間はわずかである。
 黄門・琉球編は、喜劇としてなら面白いかもしれない。(『沖縄力の時代』

 この想像は面白い。沖縄芸能として観てみたいと思う。けれどぼくたちはこう言うとき、誇張され劇画化されるものを感じながら、面白いと思っている。著者も「黄門・琉球編」と書くように、劇としてなら面白い。けれど、「千回を超すテレビ番組を調べてみた」とあるけれど、著者は思いの他、まじめなのではないだろうか。その分、この想像にはどこか素朴さが感じられてくる。

 戦後、沖縄と同じく米軍に占領統治された奄美大島が、日本に復帰したのは一九五三年十二月二十五日だった。米国のクリスマス・プレゼントといわれた。

 一九五三年に復帰したのは、奄美大島だけでなく、奄美諸島全体である。著者は琉球新報社に勤めていた。新聞社に勤めていて、隣人への認識はここに止まっていたのか。しかし確かに当時、「奄美大島」は「奄美諸島」全体を指していた。著者の認識を、隣人への無理解ではなく、受け取るとしたら、古い認識ということになる。

 架橋計画はこのほかにもある。最も大きいのが伊良部島と宮古島を結ぶ伊良部大橋(全長三千四百五十メートル) で、総工費三百二十億円、二〇一三年に完成予定だ。
 橋が架かるのは、どの離島の人たちにとっても念願である。本島に急用ができても、夜、急患が出ても、長い間ずっと、我慢せざるを得なかった。経済、日常生活、すべてひっくるめて、この不便さを沖縄では「シマチャビ」 (離島苦)という。シマチヤビからの解放は離島住民の願いであり、離島県・沖縄県民の願いでもある。島に橋が架かると、島に夜明けがきたように、意識も生活もガラリと変わる。これ以上の便利さはない。島の発展が約束されたようなものだ。橋が架かれば、若者が島に定着し、島が活気づく、とみんなが喜んだ。
 ところが、予期せぬ事態が起こっている。橋が架かると、島の若者たちは、用事があれば夜中でもいつでも島に帰れる、週末に帰ればいいと考えて、島から出ていく者が増えた。そんな島がいくつもある。入日微増の島ももちろんあるが、島を活性化するためにつくった橋が、過疎化を促進しているのである。

 島人が脱離島苦を願うのはもっともなことだ。しかし、架橋は島が島(シマがシマ)でなくなることを意味するのは自明なことだ。島が島(シマがシマ)でなくなり、陸続きの過疎になることも。そのことに対して、とても牧歌的な認識であるように思える。

沖縄には不思議な磁場があり、磁力があるようだ。これが沖縄力である。

 これが、「沖縄力」のキーワードの引用元だ。その根拠として、移住先、転勤先の上位に沖縄がなっていることが挙げられている。

 そうには違いない。そうには違いないけれど、威力あるボールとして掌に響いてこない。なんというのか、くすぐりを感じる。このくすぐりは著者の善意に由来している気がする。その善意が、素朴さ、古さ、牧歌の余地を生むのだと思うが、そこで、「沖縄力」が真っ芯で捉えられないことになっている。



Okinawaryoku

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コメント

わしも「沖縄力の時代」を取り寄せて、これから読むところです。
野里さんの著書は、今まで3冊読みましたが、どれも面白かったです。
下記に読書録を書いております。

「癒しの島、沖縄の真実」(ソフトバンク新書、2007年)
http://blog.goo.ne.jp/gooeichan/e/5b99fd5e334d4cd600cd327fccee0812

「汚名 第二十六代沖縄県知事泉守紀」(講談社、1993年)
http://blog.goo.ne.jp/gooeichan/e/dec385fd30d685f2d2339af02b2d6136

「昭和十六年 早川元・沖縄県知事日記」(ひるぎ社おきなわ文庫、1985年)
http://blog.goo.ne.jp/gooeichan/e/647937bf81b769ac5c427b4cdfab684a
これについてはお孫さんからコメントを頂いた。

投稿: kayano | 2009/04/24 14:04

kayanoさん

ご紹介ありがとうございます。

確かに。ぼくも読んでみたくなりました。

お孫さんからのコメント、思わぬつながり、よかったですね。

投稿: 喜山 | 2009/04/24 17:45

アマゾンから「奄美自立論」のレビュー催促がきていたので書いておきました。

下記は「沖縄力の時代」の読書録
http://blog.goo.ne.jp/gooeichan/e/bd93c73d66fccf7b57ca899f3c24104c

投稿: kayano | 2009/05/01 14:49

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