風葬感覚
沖永良部島と与論島では、風葬は明治期まで続いている。
崖下や洞穴墓に遺体を安置して白骨化を待つ葬法は、明治期まで続いた。一八七七年(明治一〇)、鹿児島県から沖永良部島に出された「諸事改正令達」によれば、「爾来地葬すべきは当然に候処、或ひは棺を墓所に送り喪屋と唱ふる小屋内に備置き、親子兄弟相連れ喪屋に到り其の棺を開き見る数回終に数日を経る。屍の腐敗するも臭気を厭わず」「七日或いは十日終日墓前に詰切居候」とある。喪屋に安置して数日、親族が度々あるいは終日傍らにいて、棺の蓋をあけ別れを惜しんだというのである。翌年にかけて、「空葬」(風葬)は衛生上よくないので即刻改め速やかに「地葬」するよう、また神式で行うよう度々通達している。
神葬祭の布告はすでに一八七二年(明治五)に出されていたが、神官への謝礼が払えず、一般には広がらなかった。やむなく救荒用の備蓄米である社倉の金穀利息をあてることとし、謝礼のランクまで定めているのである。(『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』)
県からの令達にもかかわらず、沖永良部の風葬から土葬への移行はなかなか進まなかった。顧みれば、1872年とはまだ与論で「猿渡文書」が書かれていた時代である。
一八七三年まで沖永良部島の代官統治区域に属していた与論島も、同じような状況下にあったとみられる。一八七九年および八六年に風葬禁止の布告がなされた。しかしマラリアや天然痘が大流行し、埋葬が間に合わず多数の死体が捨て置かれた。一九〇二年(明治三五)に鹿児島警察署から「書国警部」が数カ月滞在し、全島で風葬を厳禁するとともにヂシ(崖葬墓)をうちこわし、埋葬場を定めた。そのときの島民の騒ぎはたいへんなもので「死後一週間か二週間しか経たない棺を、汁の滴るままに塊葬場へ担ぎゆく様は、見るに見られない有様であった」という。
与論島のギシ(ヂシ)とは、島南部の崖下にある古くからの共同墓で、一族ごとに使用し二〇カ所以上を数える。自然洞窟に手を加え、横穴を掘り大型にしたものもある。かつて入り口は板戸などで塞がれていた(現在は漆喰で固めている)。栄喜久元は、一九三〇年(昭和五)、祖父の三十三年忌に頭骨を埋葬墓からギシに移し、他の骨はギシ近くの骨捨て場に投げ込んだ覚えがあるという。
明治初期頃までは、死体もこのギシに持っていくものであった。ほとんどは棺に入れたが貧乏な家はこもで包み、ギシの入り口や崖下に置き、三~四年して洗骨後ギシに納めた。
あたらしやる親や 長持ちに入りてい
六月ぬていだに さらすしんさ《遣いきんとお節》
(哀惜する親がなしを、長い棺に入れて/六月の太陽にさらすのは、とてもつらい)
という歌は、遺体が太陽にさらされる風葬の光景を悼んでうたったものだという。
一九〇二年に風葬は廃絶されたが、ギシは納骨基として戦後すぐくらいまで使われていた。その後、人々は多く海浜部の墓地を用いるようになり、これにともなって各家の洗骨した遺骨をギシから移した。現在ギシに残っているのは誰の骨かわからなくなった遺骨であり、一族の子孫が定期的に墓参している。
かくて洞穴葬は過去のものとなった。しかし暗い土中に埋葬するのは「動物同様のあつかい」で不憫であり、納棺し釘付けするのは「このうえもない不人情」だとする感覚は残っている。さらには洞穴墓にある祖先に会いにいくという記憶は、時に現在に噴出してくるように思われる。(『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』)
ぼくたちにとっては、これが歴史というものだ。こういうことを教わりたかったと思う。
風葬 ~1902年
土葬 1903年~2004年
火葬 2005年~
ただし、これらの期間を通じて洗骨は行われ、いまも絶えていない、と。
風葬感覚からすると土葬は「動物同様のあつかい」で不憫で、納棺による釘付けは「このうえもない不人情」であるという見なしは好もしく感じる。
『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』10
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