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2009/04/06

明治6(1873)年の「勝手賣買」

 明治6(1873)年、「猿渡文書」の最後の記述。

一筆書いて申し上げます。まず以て尊公様を初め御家内中の皆々様ますます御機嫌よくあらせられ恐悦至極に存じます。次に当島においても家内共異状なくすごしておりますれば恐縮ながら御意を安んじ下さいますよう御恩召し下さいませ。それで三月四日御出しになった御手紙六月二日沖永良部島から届き有難く拝見いたしました。書属官にお勤めのようで三四島を御巡回の御勤めの事を仰せきかされ、有がたく家内共は大よろこびいたしました。それはそうとわ私去年津口横目重を仰せ付けられつとめておりましたる処、右役の跡に代り作見廻りを仰せつけられ有難く精勤いたし勤務しておりますので、恐縮ながら申し上げました。

 いつもの儀礼的な挨拶。そして、3月4日に出した手紙は、6月2日、沖永良部から届いた、とある。三か月もかかっている理由は分からないが、当時の時間感覚が表れている。ときは明治6年だが、「巡回」、「見廻り」など、近世期がそのまま続いているような仕事内容だ。

さて去年順中丸(順通丸か)船頭山川の十左衛門え頼み手紙と尺莚一束二枚差登せしましたが、届きましたでしょうか。恐縮ですが申し上げます。年貢米代と品物代を差し引いた残り砂糖の分は勝手賣買を仰せつけ下され度、年に与人。横目・書役一人が上縣して勘定(決算)いたします。

 そしてまたいつもの「莚」の話だが、与論にも時代の波がやってきいているのは、「勝手賣買」の文字が見えることだ。「年貢米代と品物代を差し引いた残り砂糖の分は勝手賣買」と、ある。このとき、大島商社による専売制は与論に及んでいなかったということだろうか。

時に仰せられ度、右については御品物代と御米代をとり決め、いろいろについては興人前里間切横目直嘉和書役實治が上県いたし恐縮ですがお尋ね申します。その時は砂糖製造の時分で樽と外に砂糖を過分に持登せしますけれども、製造がすんで出来砂糖が二十九万四千三百五十斤余出来上りましたので、御米代と御品物代の内七八千斤余は未進となり都合が悪いことでございますけれども勝手賣買を仰せられ下さい。それで寄未進になるつもりにございます。さて近頃軽少で恐縮でございよすが、小樽二挺誠に手紙を書きましたしるしまでに進上いたし度、この節住栄丸の船頭喜平次え頼み許し登せよすのでお納め遊ばされ下さるようにして下さい。まずほんの御礼と御機嫌を申し上げたくこのようにございます。なお後便をおまちしています。恐惶謹言

酉七月廿四日     実富
猿渡彦左衛門様

 黒糖は、29万4350斤。1861年は16万斤だから(「但し、御見賦の中から四万斤余の引きこみとなり」)、12年間で13万斤余の増加。184%の増加。与論は小さく、大きな生産の見込めない島だが、そこで、12年間に2倍近い規模になった。第二次惣買入の徹底度はここにも垣間見ることができる。

 ここで、「猿渡文書」の記述も終わっている。


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