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2009/04/22

「トオトゥガナシ 魂の島」

 与論島の写真が載っているというので、「朝日ジャーナル(週刊朝日緊急増刊)」を買ってきた。吉岡忍のエッセイだった。

 与論島のところだけ、所感をはさんでみる。

トオトゥガナシ 魂の島

所得は全国平均の七割に届かない。「一人当たりの年収、百六十万とかせいぜい百八十万円じゃないの」と、住民は言う。

役場職員のラスパイレス指数は鹿児島県最低の、八割ちょい。それでも町では高額所得層。けれど、誰も困ったふうではない。奄美諸島最南端、沖縄を望む与論島。家のまわりで、牛やヤギを飼う。野菜やキビを作る、バナナを採る。朝、珊瑚の海に釣り糸を放り、夕、仕事帰りに引き上げれば、夕飯のおかずが、飛び跳ねている。

与論島にくるたび、実感する。暮らすには百も千も知恵を使う。生きるとは、面に広がるどころか、縦にも斜めにも膨らむものだ、と。比べて、今時のわれわれは細い線の上、どこかに雇われるだけで生きている。一本切れれば、奈落の底まで真っ逆さま。

 所得が低い、という言われ方は、ずっと前からそうだった。それはずっと同じ、ということのなかに、考えるべきこともいっぱい詰まっている気がする。昔は子どもだったせいもあるだろうけど、モノは無いと思っていたが、貧しいとは思ってなかった。

与論島の、歴史は古い。琉球王国に侵略され、薩摩藩に収奪され、三池炭鉱輸出港への、集団移住の労苦に耐え、満蒙開拓に駆り出され、米軍占領でも苦労した。

 「与論島の、歴史は古い」ことはじめを、琉球王国から始めるのでは新しすぎる。「魂の島」と書き手自身が名づけているとおり、人間と魂が等価であった頃まで遡れるのだから。しかも、「琉球王国に侵略され」というのはそぐわない。「支配され」ならまだしも。

六〇~七〇年代、沖縄復帰の前後、突然島に観光ブームがやってきて、リュックとピーサン履きの若者たちでごった返した。「島の人は、やたら親切だった」
と、元若者の定住者が言えば、
「島を出た息子娘も、都会の人様のおかげで生きてきた。人の世は相身互い。お返しのつもりでしたよ」
と、都会の冷たさを知らない島の老人たち、真顔で言った。
十年足らずで、熱は去った。終わってみれば、ブームも厄災。土産物店も、民宿も、観光施設も、空き家か粗大ゴミになった。
「ブームは怖いです。何をやるにも、熱病になっちやいけない」
島人の言葉に、苦い経験が惨む。

 「魂」が身近な世界なのに、突然、時代の突端に洗われてしまった。その我を無くす体験があのブームだった。極度の人みしりが、都会の若者と瞬時に馴染むにはどうしたらいいのか。そこで、与論献奉は急ごしらえの伝家の宝刀になった。そのブームの去った島を、吉岡は12年前、「与論島は、いまかつての静寂を取り戻している」(「ひとがみな自分の家で死ねる島」「文芸春秋」)と書いた。「喧噪を失った」ではなく、「静寂を取り戻した」。

十数年前、打ち沈んだ与論島が、私を惹きつけた。夢よもう一度、と観光開発に走る行政に、たった一人、否を言う電器商がいた。始末に困る牛糞から悪性ガスだけを取り除き、真性の有機肥料を作ろうと、試行錯誤する技術者がいた。古民具を集め、方言を記録し、昔の手仕事を伝承しょうと、紬織りをつづける家族がいた。都会の大病院、若手院長だった医師は家族ともども移り住み、診療所を開き、在宅医療の仕組みを作り上げた。それから何年もして、平成の大合併では、町を挙げてノーを言った。これらの背後に何があるのか、知りたいと私は思った。

 一つひとつ具体的な顔の浮かぶエピソード。「オンリーワンの島づくり」と言っているが、それに水を差さないで、そうコピー化したのには理由があると見なせば、島は小さく人口も少ない。だから、「自分がやらなかったら無くなってしまう」。そういう想いが個人に宿るのではないか。

元教員、その後は町の教育長。退職したいま、雑貨店主の竹下徹。その母が、三年前の五月、九十八歳で亡くなった。遺言通り土葬にし、その上に、死者の暮らす小さな家を置いた。

 竹下徹。痛快エッセイ、『ドゥダンミン』の著者。生前の父の囲碁友達。ぼくは「ぱっちん先生」と小さい頃、呼ばせてもらっていた。火葬場ができた後、土葬にすることができたのは幸せだと思う。

あと三年もしたら掘り返し、骨を浄め、頭蓋骨を抱きしめる。「もう一度、会いたい。母の顔と頭を、また見たい。人間は、自分の出自と行き先をわかっていれば、惑わないですから」私は島のあちこち、風葬跡を訪ね回った。触ると骨は、ひんやり湿気ている。転がったひとつひとつ、紺碧の海に向けてやると、頭蓋骨たちは背を伸ばし、探呼吸した。人は死後三十三年、此岸と彼岸のまんなかに漂っているという。五キロ四方の島、人口五千六百。毎年七、八十人が亡くなるから、いまこのときも、死者の魂がひしめいて、生者の隣りで暮らしている。
〈魂の島〉
与論島を、私はそう呼ぶことにした。

 ぼくもおととし、改葬(チュラクシナシ)をしたとき、(「再会と別れと-21世紀の洗骨」)、生と死のつながりを実感した。でも、ぼくが「魂の島」をありありと実感していたのは、それよりずっと前、動物や植物や魂(マブイ)と対話していた祖母と接していたときだ。

五年前、島に火葬場ができると、土葬はめっきり減った。昨年も一昨年も、ゼロだった。焼かれたら、魂も灰となってしまいやしないか、と私は心配したが、島人は意に介さない。「ほら、そこにいる」と、黒糖焼酎を飲みながら、ひょいとうしろを向いて杯を献じ、トオトウガナシ(尊い、愛しい=ありがとう)と、頭を下げる。こちらから、見えない魂が感じられるとは、魂からも、こちらの姿が見えるということ。この融通無碍、視点の移動が自在であることが、人を寛がせ、自由にする。一生懸命が珍妙で、ちゃらんぽらんが誠実かもしれない。荒唐無稽こそ真剣で、真面目がジョーク、真が偽、偽が真かもわからない。

 「真が偽、偽が真かもわからない」。さあ、それはどうだか。ぼくにも分からない。けれど、「島人は意に介さない」。これはとても与論らしいと、思う。

Ganputa

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コメント

 "「与論島の、歴史は古い」ことはじめを、琉球王国から始めるのでは新しすぎる。"。。。そのとおりだと思います。

 これは、奄美沖縄人が陥る錯覚の一つですね。考古学的にみると倭人(日本語を話す者)の来島は2000年以上前でしょうから"琉球王国成立" はついこのあいだの事と考えたほうがいいと思います。
 しかも、その王国の成立は何も沖縄諸島の勢力だけでなったわけでもなく、与論や徳之島が推進役だったかもしれないわけです。

 それと、もう一つの錯覚は、与論沖縄間に奄美と沖縄の境界線があるという既成事実でしょうか。薩摩侵攻以前にこんなラインがなかったことは、沖縄島北部の神歌などをみても明らかです。

 以下、名護の海人祭での神歌「ウムイガキ」『やんばるの祭りと神歌(名護市教育委員会)1997 』より
***
 もとむかし あたるくと(元昔あった事)
 あまみきよにひちやるごとい(アマミ世にしたように)
 なごもりのおほかみ(名護森の大神)
 よやげもりのみよつぎ(寄り上げ森のミヨツギ)
 すがまもりのすじなり(スガマ森のスジナリが)
 なご森に かみにしやいみしょうち(名護森に神様がお座りになって)
 すじよやいみしょうち(神が寄り合いになって)
 とうはもろくしま(唐は弥勒の島)
 やまとかみがしま(大和は神の島)
 よろんうきしま(与論は沖島)
 ゐらぶはへしま(沖永良部は延え島)
 いへややっちいしま(伊平屋は兄島) ***

投稿: 琉球松 | 2009/04/23 09:52

琉球松さん


> もう一つの錯覚は、与論沖縄間に奄美と沖縄の境界線があるという既成事実

ぼくもこれにいかに煩わされているか、痛切に感じるようになりました。

奄美とは何か。という枠組み自体がそうですから。

> よろんうきしま(与論は沖島)
> ゐらぶはへしま(沖永良部は延え島)

これも面白いですね。
ぼくはこれ、「与論は浮島。永良部は沖島」と解しました。


投稿: 喜山 | 2009/04/24 17:42

 「与論は沖島」とは、とりあえずの試訳のようで「与論は浮島」でも妥当だと思いますね。

 「ウ(オ)キシマ」は尊称ですから、沖縄島北部の島ン人にとっての与論&沖永良部&伊平屋&伊是名は、尊敬すべき島ということになります。

 ついでですので、与論のあしび歌をひとつ。。。
『南島歌謡大成 奄美篇(角川書店)1979』より

  うくぬむぇーから (奥の前浜から)
  ふねいばやち (船出して)
  うくぬあんまなかしょる (奥の彼女を泣かせる)
  ゆんぬめーさんしゅ (与論メーサン主)

 与論の男が、奥(沖縄島北部)の女性を泣かすとは、許せん!(笑)。

投稿: 琉球松 | 2009/04/25 19:18

琉球松さん

与論と山原の近さを物語る唄、いいですね。

> 与論の男が、奥(沖縄島北部)の女性を泣かすとは、許せん!(笑)。

(^^)

投稿: 喜山 | 2009/04/26 22:26

 これって、与論メーサン主なる方が、奥から与論に戻る場面でしょうか。

 彼女は、たぶん毎日、奥部落近くの「赤崎」から与論を見つめていたでしょうね。なんか、渡久地政信の「♪島のブルース」が聞こえてきそうです(笑)。

投稿: 琉球松 | 2009/04/27 22:57

琉球松さん

与論には、山原と行き来して逢瀬を重ねる民話も残されているので、そんな場面だと思います。

「島のブルース」、BGMに流してあげたいですね。(^^)

投稿: 喜山 | 2009/04/29 17:17

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