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2009/04/03

維新前後の旱魃は蘇鉄で命をつないだ

 1869年、明治2年。

一筆書いて申し上げます。まず以て
尊公様を初め御家内の皆様御揃いでますます御機嫌よくあらせられ恐悦の御事と存じます。次に当島において両家内共異状なく過しおりますれば、恐れ多い事ですが、御意を安んじ下さいますよう思召し下さいませ。さて当春下り住栄丸の便から御手紙と在によりの御品物をとりあわせ別紙の通り御おくり下され両家内ともよろこび、特別有難く御礼を申し上げます。

 ここまでは決まり文句のような儀礼的挨拶。

御家内御方へよろしく御礼申し上げるよう御願い申します。さてまた御国許では去夏から変勤(動か)があった事をうわさできき知りおどろいている処で、御子息様御両人とも御出陣あそばされ、何方においても勝ちいくさで首尾よくあられ、御帰国なされた事御手紙で拝見お役目ながらこの上もなく御大切なことと大悦びの御事とめでたく御祝儀を申し上げます。なおこれからの御尊名をお待ち上げ申しています。

 維新は、「変動」と言われている。そのうわさ、そしてご子息が出陣したこと、無事なことが喜ばれている。
 だが、与論にとって大事なのは次のことだ。

なおまた当島の事、去る夏以来長々と干魅がつづきその上に二度の大風で汐風が陸地にふき上げ諸作物が痛み損じ皆々食料も蘇鉄等で当春までようやく命をつないできました。当年春先から少し余分ができ、諸作付方も惣仕付に精を出しております。これから先風早の旱害さえなければ当秋はかれこれの出来になる事と存じて上げ申しております。

 与論は、1868年の夏以来、旱魃が続いて、その上、二度の台風で汐風が陸地に吹きあげ、諸作物が痛み損じ、みんな食糧も蘇鉄などで春までようやく命をつないできた、とある。

 維新の年を与論は蘇鉄で凌いで生き延びたことが分かる。

この節御慶事があって当島與人喜久里が上国主ましたので つとめて二人のうち一人が参上し殿様の御尊顔を拝し奉り、また私共の形行等も申し上げたくおもい望んでおり申しておりますけれども、前文で申し上げました通りの世振については思いのままに願いがとどかず残念ながら不本意の至りのまま気が入りまじっています。但し仰せ下された莚の事当春便から御趣意通り差し上げたく思っています処、当分蘭を持ち合せておらず、ようやく脇方から備後蘭五枚さがしもとめ枚数が少なく恐れ多く存じ奉りますけれども、調いました分の員数を差し上げおき、残りの分はおいおい新しく出来た蘭を調へおき、来春便で差し登せ進上致しますので、恐縮でございますがそのように思し召し上げ下さるようにして下さい。なおまた当島書役の富静は前々からずっと親しく子弟同様顔をあわせているものですが、この節御献上物取仕立方として喜久里について上国いたしましたので当島形行と私共すべてがすぐに参上し申し上げできるようにと頼んでおきましたので、恐縮ですがお聞き召し下され、御国許のかれこれをさら豆また仰せつけられ下さるようお願い申し上げます。まずは御機嫌伺いとこれ等いろいろの御意を得るため愚札を呈しました。
猶後日の喜びを期したいと思います。恐惶謹言
巳五月三日
猿渡彦左衛門様

  御役人衆

 この時期に、与人の喜久里と書役の富静は、慶事で上国している。「喜」と並んで「富」も、与論ではよく使われていると思う。


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コメント

 今日 
    奄美
   与論島の島社会組織
         加藤正春著

  を香文堂書店で求めました。


     父の一年忌にむけて
         考えておきたい。

   帯をはずしました。

  何処に並べてくれるかも、
      売れ筋にかかることですか。

         与論でも取り上げて
           もらえるように したいですね。
     按分。

    

投稿: awa | 2009/04/03 20:11

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