« 「供養歌」と「哀惜歌」 | トップページ | 奄美の南二島(沖永良部、与論)では、死者との距離はたいそう近く、その思いも激しい。 »

2009/04/27

シマウタの発生

 酒井正子は、「哀惜歌」として「やがま節」と「二上がり節」を挙げ、両者を比べている。

 「やがま」とは、洞穴墓や「だだこね、腹立ちや鬱積した思いを吐きだすこと」の意と解されており、「自力ではいかんともしがたい運命への悲憤がうたわれる傾向がある」という。

もう一人、徳久寿清氏は「あまり寂しいとき、これ以上の寂しさはない、というときの歌。妻や子供が亡くなって、葬式がすんで寂しーくなったそのときにうたう」とのこと。不吉な歌で「これをうたうと変な気持ちになる」といい、日柄をみてうたわれた。思うに身体の中にぽっかりと穴があき、寂しい風が吹き上げてくるような感じに襲われるのではないか。(『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』

 哀惜歌が死者との直接対話であり、その影響を身体が被るほどであるところに、「やがま節」が哀惜歌の典型であることが示されているように見える。

 対して「二上がり節」は島唄の名曲だが、これについて酒井はこう仮説する。

 おそらく元来無伴奏でうたわれていた(哀惜歌)が歌あそぴの場にもち込まれ三味線にのせて窒上がり節》と呼ばれ、全島にはやって《はやり節》と呼ばれる、といった変遷があったのではないか。流行の波がいくえにもかぶきっており、それだけ古くからうたい継がれてきた曲、ということだろう。

 「二上がり節」は「うやがま節」をその原型に持っているのではないか。酒井はそう言っている。

 私は《やがま節》と《二上がり節》は互いに関連が深く、その根っこは同じなのではないかという印象をもっている。ただし《やがま節》はタブー性が強く、四十九日を越えてうたわれることはないが、《二上がり節》は死の直後から、何十年も経て死者を思い出すときまで、幅広い時空でうたわれる。
《二上がり節》は《やがま節》を包み込むような形で成立したシマウタではないだろうか。とすれば(哀惜歌)というジャンルの中に、個人様式の不定型なウタから集落共同のウ夕へ、というシマウタ生成のプロセスが見出され、興味深いことである。

 霊との直接対話である「哀惜歌」は、タブーも強く歌う時間と空間は限定されているが、その時間と空間のくびきを脱したところで、歌として共有が果たされ、島唄が析出されていく。酒井の視線ごしに、ぼくたちは島唄の発生の現場に立ち会っているような興奮を覚える。

『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』8

|

« 「供養歌」と「哀惜歌」 | トップページ | 奄美の南二島(沖永良部、与論)では、死者との距離はたいそう近く、その思いも激しい。 »

コメント

経済学者で著名なブロガー池田信夫氏がユーミンの音楽のマーケティング戦略について書いてました。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/2ab0c3f6cea54ebcc44fa1268ae50f7e

中孝介や元ちとせの唄にも当てはまるのかな。

投稿: kayano | 2009/04/29 09:53

kayanoさん

ぼくもこの記事、タイトルに惹かれて読んでいました。

元、中は、宿命的に流通が限定的であることによって、資本主義に乗る契機をつかんだけれど、むしろユーミン的なものによって歌唱のオープンソース化を迫られるところに困難が生じているように思えます。

ちょっと筋違いの話かもしれませんが。

投稿: 喜山 | 2009/04/29 17:28

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シマウタの発生:

« 「供養歌」と「哀惜歌」 | トップページ | 奄美の南二島(沖永良部、与論)では、死者との距離はたいそう近く、その思いも激しい。 »