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2009/04/21

「奄美の人のアイデンティティ」

 酒井正子は、『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』で、奄美のアイデンティティを簡潔に整理している。

 奄美の人のアイデンティティは、第一義的には自分の生まれジマにある。それは絶えず他シマとの違いを意識する中で形成、強化されてきたものであろう。そしてシマをベースとして直接世界と向き合い、ブラジルでもアメリカでも出てゆく、というありようだと私は思う。

 『奄美自立論』の議論を踏まえると、二重の疎外による帰属の真空化が、ブラジルやアメリカへのひとっ飛びのハードルを低くしたと言うことができる。

「奄美」という大枠は自律的なものではなく、外から付与されたものだ。まずは近世の薩摩藩政が、奄美諸島の植民地的経営を効率よく行うための単位とした。そして近代以降、二度の大きな試練が奄美を結束させた。一つは明治近代化に際して黒糖の自由売買を求め鹿児島県を相手に闘った「勝手世騒動」、もう一つは第二次世界大戦後、アメリカ軍政府の統治下における「日本復帰運動」である。

 ここにもうひとつ、「勝手世騒動」に続けて、「三方法運動」を加えてよいはずだ。

 とくに後者の時期、奄美は日本本土との往来を禁じられ、労働力の多くが同じ域内の沖縄に流れた。基地労働などに従事しながらシマの生活を支えたのである。結局は日本復帰しか生きる道はないとの思いで、奄美群島全体は;の要求にまとまった。本土在住の出身者と緊密に連携しながら、断食や署名、デモ行進など激しい闘争を展開、一九五三年(昭和二八)クリスマスに復帰をかちとったのである。しかし皮肉にも沖縄在住の奄美出身者はそのときより「非琉球人」となり、公職を追放され異邦人あつかいされた。復帰後は日本政府による「奄美群島振興特別措置法」等が、全域を対象に施行されている。

 「日本復帰しか生きる道はない」というのは、復帰の実相を的確に捉えたものだと思う。

 そうした外からの圧力や枠組みによるのでなく、内側から形成された「全奄美」意識は、私の知る限り、ない。ヤマトと沖縄のはざまにあって、内部に大きな政治権力の集中をみることなく、シマジマが割拠してバランスをとりつつゆるやかにつながる、重層的なありようである。

 確かに、「全奄美」意識は、ない。ないどころか、ともすると、北奄美には奄美は徳之島までとする観方が出てくるときがあり、南二島では、「奄美でもない、沖縄でもない」と二重の疎外が変奏されるときもある。

 対して沖縄は、現代の基地問題に至るまで、常にアジア太平洋の戦略的な要として、国際政治の巨大な権力抗争の渦中におかれている。そのポジション自体きわめて政治性をおびていることを、自ら強く意識せざるをえない。そうしたあり方と奄美は、明らかに異なっている。あいまいな言い方かもしれないが、シマを核とした、より自然発生的なアイデンティティのありようを、私は奄美にみる思いがする。(『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』

 ここでも付け加えると、二重の疎外による真空化は、シマをよく保存させ、「シマを核とした、より自然発生的なアイデンティティのありよう」を保たせてもきたと言うことができるのではないだろうか。


『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』5

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