« 文書にみる戊辰戦争 | トップページ | 『奄美自立論』、アマゾンに掲載されました »

2009/03/19

惣買入以降の与論島

 ここにある「申」は、一八六〇年のことだと思う。

一筆書いて申し上げます。まず以て御尊公様いよいよ御機嫌よくあらせられ恐悦至極に存じます。次に当島の私共も異状なくすごしておりますれば、恐れ多い事ながら御意を安んじ下さいますよう思召し下さいませ。それで、先頃の帰便で御尊書一通と何よりの素麺を頂戴いたし両家内共、すぐ賞味いたし、ことさら有難く厚く御礼申し上げます。そして又先頃の御用船から鉛と芭蕉布入付精一ツ差し上げ申しおきましたる処御請取り下された事をありがたく拝見いたしました。一御横目様御事今月廿二日赤佐へお移りになってだんだん順風になり次第御帰帆の予定でございます。私事にもすべてのことをよいぐあいにお命じ下され、ありがたき仕合せと存じております。

一当与論島は折々雨の恵みをうけて黍作も昨年よりは余程成長もよろしく唐芋等も過分に植えつけ引き続きの手段がむつかしくなく、みなみな進んでおる次第でございます。まずは右の御礼と御機嫌窺いの為各様まで愚札をかいてさし上げました。それで軽少で恐れ多い事と存じますが、塩辛入り小壷を各組進上したく差し上げますので、御受納遊ばされます様よろしくお願い申し上げます。なお後便をお待ち申しております。恐憧謹言
申六月廿二日                実有子
                          実喜美
猿渡彦左衛門様 御役人衆

 与論を出るときは、湊のあった赤佐(あがさ)に移って、風を待ち、発ったことが分かる。「大島御規模帳」では、琉球の名士が船を出す日和を待つあいだに「酒・酢・醤油」を差し出してはいけないと規定されていたが、こんな「順風」を待って滞在していた日のことを指しているのだろう。

 一八五七年に始まったとされる与論の惣買入から三年後、「与論島は折々雨の恵みをうけて黍作も昨年よりは余程成長もよろしく」と、年々、生産量を上げていったろうことが伺える。唐芋も過分に植え付けて、とある。明治を目前にして、与論は奄美の黒糖生産工場体制へ組み入れられていった。


|

« 文書にみる戊辰戦争 | トップページ | 『奄美自立論』、アマゾンに掲載されました »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/44381260

この記事へのトラックバック一覧です: 惣買入以降の与論島:

« 文書にみる戊辰戦争 | トップページ | 『奄美自立論』、アマゾンに掲載されました »