« 美味!アテモヤ・アイス | トップページ | 『奄美自立論』の紹介ページです »

2009/03/28

WBC雑感

 小さなことだが、吐きだしておかないと残りそうなので書きとめる。

 WBCをときどき観戦してまず思ったのは、持てる者の相互扶助ということだった。この場合、「持てる者」という言葉にルサンチマンは込めていない。かつて、相互扶助は、持てない者同士が、それぞの欠如を補いあうようにあった。けれど、WBCのプレイヤーが見せてくれたのは、象徴的にいえば、イチローが打てないなら他のプレイヤーが打つという助けあいだった。ここでイチローは持てない者ではなく、持てる力を発揮できない者だった。持てる者同士が助け合う。結果、今回のWBCは突出した主役を作らず、個々が主役であるということが矛盾にならずに表現されていた。ここにある新しさがあるとしたら、それは持てる者の相互扶助ということではないだろうか。

 もうひとつ、日韓戦には懐かしさもあって、それは都会っ子と田舎者の戦いということ。都会っ子は、技術に秀で、ファッションセンスもあれば顔つきも端正。田舎者は、パワフルだけれど、粗野さダサさをどこかに残す。田舎者は、やわな都会っ子に負けてなるかと思うけれど、都会っ子は充実した環境で練習してきているから、驚くような技術力を持っている。やわさはむしろメンタルなところに出ることはあって、田舎者の底力が勝ることもある。そんな懐かしい構図の再現だった。もちろんぼくは田舎どころではなく超田舎者の側から、こう思った。

 そして最初から最後まで小さな違和感が消えなかったのは、例の「侍ジャパン」というフレーズ。ただのキャッチフレーズかと思いきや、監督までが大真面目に使っていて奇異な感じがした。もっともそれは、ぼくが「侍」に対して憧れや尊敬といった特別な感情を持たないからだとは思う。奄美は月代をしなかった民だからという想いもある。どうしてわざわざ「侍」なんだろう? しかもその次は「ジャパン」と来る。「侍日本」だとさらに大真面目になってしまうから、「侍ジャパン」なんだろうか。なんかこれ、ひと昔前、欧米からの日本像としてあった「フジヤマゲイシャ」と等価な表現ではないだろうか。「フジヤマゲイシャ、サムライジャパン」。ほら、違和感なく続くフレーズになる。ということは、海外に分かりやすい日本像を提示したということだろうか。

 プレイヤーの自由さに比べて、「侍ジャパン」のフレーズが自由じゃない。そんな気がした。それが小さいことだけれど、吐き出しておきたかったことの中身だ。


 

|

« 美味!アテモヤ・アイス | トップページ | 『奄美自立論』の紹介ページです »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: WBC雑感:

« 美味!アテモヤ・アイス | トップページ | 『奄美自立論』の紹介ページです »