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2009/03/04

わたしの奄美自立宣言

 奄美を自己紹介しようとすると、「鹿児島でもない沖縄でもない」と、つい言ってしまいます。どうしてこんな消去法の自己紹介になってしまうのでしょう。それはとても不思議なことです。しかし振り返ってみると、ぼくたちは少なくとも一世紀半もこの問いの前にたたずんできました。長きにわたってそうあり続けているのなら、そこには「奄美」が単に無名だからというだけではない理由があるはずです。

 ここに立ち止まって考えてゆくと、そもそも奄美が消去法のような関係のなかに置かれてきたことに突き当たります。それは歴史的なもので、「鹿児島」を「大和」、「沖縄」を「琉球」と呼んだ時代に遡ります。ことの起こった順番にしたがえば、いまから四百年前にそれは始まり、「奄美は琉球ではない、大和でもない」とされてきたのでした。そこで、奄美は、島であり珊瑚礁であり似た文化を持つことを根拠にした「琉球」という共同性の言葉を失い、しかし、征服者であった薩摩には、「大和でもない」と交流を遮断されました。

 どうしてなのか。薩摩は奄美を直轄領にしたことを幕府(日本)に内証にしたため、対外的に、「琉球は大和ではない」としたのと同様の規定を、奄美にも強いたのです。奄美は、同じ文化圏とのつながり無くしたばかりでなく、「隠された直接支配地」として「奄美は琉球ではない、大和でもない」と規定されたことにより、いわば空っぽになります。それは、奄美が存在しないかのような存在と化したことを意味しました。そこで奄美は、近世期は空っぽな共同体として、近代以降は空っぽな個人として生きたのです。

 奄美の最良の紹介者だった作家の島尾敏雄は、「奄美の人々は、長いあいだ自分たちの島が値打ちのない島だと思いこむことになれてきた。本土から軽んじられると、だまってそれを受けてきた」(「奄美 日本の南島」)と書きました。ここにいう「値打ちのない島」ということも、「軽んじられる」ということも、自他ともに、奄美を存在しないかのように見なしてきたということに他なりません。消去法のような自己紹介にはこんな歴史的な背景があるのです。

 奄美はこれまで、二重の疎外を「日本人」になることによって解消しようとしてきました。あの日本復帰運動のときに、それは頂点に達したでしょう。しかし、「日本人」になることによっては二重の疎外は解消されません。というより、「日本人」になることを、自分たちの文化を否定して行ったために、もともとの奄美が否定されたままであることには変わりなかったのです。二重の疎外が解消されていないということは、今も「鹿児島でもない沖縄でもない」という消去法の自己紹介になってしまうことが雄弁に物語っています。

 二重の疎外は、依然としてわたしたちの課題なのです。

 それなら、二重の疎外を克服するには、「奄美は奄美である」と、消去法ではなく、「奄美」というまとまりとして自己紹介すればいいでしょうか。そうかもしれません。けれどその前にやるべきことはあります。なぜなら、現状のまま「奄美は奄美である」と言ってもそれは奄美大島を意味するにとどまり、奄美全体を指すには至らないからです。

 その前に、それぞれの島あるいは集落としてのシマを主役にした語りをしなければなりません。奄美は二重の疎外を受けましたが、島あるいは集落としてのシマという場を失っていません。掘り下げるに値する時間と空間も無くしてはいません。島/シマにはただ、ひとつの島/シマというだけでなく、それだけで世界であり宇宙であるという広がりがあります。そして四百年のことなど最近のことに過ぎないと言える、数千年から万年をたどれる奥行きもあります。その豊かな奥行きを足場にした島/シマの語りを持つのです。奄美というまとまりが必要なのか、それが可能なのかが本当に問われるのはその後です。

 それでは食っていけないと思うでしょうか。そうかもしれません。しかし、「珊瑚では食って行けない」として開発を続け、なんとかやっていけるようになったとしても、空っぽな奄美が充実しなければ、わたしたちは依然、生き難いままではないでしょうか。

 それぞれの島/シマが語る主体を持つことは、二重の疎外の直接の当事者である薩摩と間接の当事者である沖縄との対話を可能にします。薩摩に対しては、薩摩が奄美を「隠された直接支配地」にしたことに、黒糖収奪以外の意味があるということを、それが二重の疎外をもたらしたことを伝えなければなりません。そうでなければ、薩摩も自身のなしたことを理解できないからです。付け加えれば、「薩摩」とは、現在の鹿児島の具体的な個人ではなく、県あるいは思想としての鹿児島を対象にするために使っています。具体的な交流は進んでいる鹿児島の個々人と対立したいわけではないからです。

 対して、沖縄とは具体的な交流を深める必要があります。そこで、お互いが似ていることを見つけてゆくことは、奄美にとっても沖縄にとってもて失われたつながりの回復につながってゆきます。それは楽しい旅であるに違いありません。

 自己紹介が必要なテーマだというのは、なにを今更と感じもします。しかし奄美はまだ自己紹介が済んでいません。そうではないでしょうか。そうであるなら、気遅れしても恥ずかしくてもその一歩から始める必要があるのではないでしょうか。

 折りしも、2009年は皆既日食。月の縁をなぞる曲線の輝きが、やがて厚みを増し太陽(てぃだ)として姿を現すように、奄美も地理と歴史に姿を現そうではないですか。


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コメント

おはようございます。

  すばらしい  発信です。

   日食のころ  奄美物産展があるらしいですが

     与論のかんじゅくマンゴーを

        ご婦人方に お届けしたいです。

          できれば  東部デパートにて・・。

     妻まゆみ  の 友達2名。

投稿: awa | 2009/03/05 08:29

「大奄美展」でしたっけ。東武百貨店でと聞いています。
与論のかんじゅくマンゴー、楽しみです。

投稿: 喜山 | 2009/03/05 22:09

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