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2009/03/08

「沖縄を奏でる」

 昨日は、「沖縄を奏でる」と題されたシンポジウムを聞きに国際基督教大学に足を運んだ。といっても仕事はあったし、シーサーズの持田さんに教えてもらっていたので、彼女のプレゼンテーションが目当て。

 「関東に花開いた琉球芸能」持田明美(音楽家)

 持田さんの発表は、神奈川県川崎市鶴見を拠点に開花していった沖縄芸能の歴史を戦前から現在まで、80年間の歴史を辿るものだった。

 鶴見といえば、昔は親戚のいる場所としてイメージしていた。そんな親近感もあったから話はとても興味深iい。

 沖縄人である自分たちの心の居所として始まる関東の沖縄芸能は、やがて関東の大和人の関心を惹き、むしろある部分は大和人に担われてゆく。そして持田さん自身もその一人だった。

 沖縄・宮古・八重山が一緒になって演じるという方法も関東ならではのことで、「ウチナワン・スピリッッ」が活動期間は短いながらも鮮烈な印象を残している。沖縄音楽に新しい解釈を加える本土人による沖縄音楽ユニット「シーサーズ」も東京だから存在しえたといえる。本土人が沖縄音楽や舞踊に魅かれ、みずからやりたいと思うのは、音楽や舞踊を演じることで人間の根源的な性質である「何かとつながる」感覚をとりもどせるからである。それは本土人がずっと昔に失ってしまったものである。(「関東に花開いた琉球芸能」持田明美)

 その東京だから存在しえた、たとえばシーサーズは、大和人による沖縄音楽を実現してゆく。やがて、それは大和人による大和人への沖縄音楽の伝授を実現していくだろう。それは、沖縄音楽の自己増殖だ。

 ここまで来てるんだなあと、ぼくは与論イメージの独り歩きを思い出しながら、聞いていた。

 持田さんの「関東に花開いた琉球芸能」は年表までついた充実したレジュメになっていて、詳細な中身を知りたくなる。いつか、本という形に結実してほしいと思った。


Okinawawokanaderu

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コメント

 沖縄諸島の神歌(琉球王朝以前のもの)や「おもろさうし」には琉球音階(東南アジア系)はなかなか乗りにくいことからすると、この音階の輸入拡大は薩摩侵攻以後の新しい現象ではないでしょうか?
 だからこそ、その北限が沖永良部止まりなのではないでしょうかね。

 仮に薩摩侵攻がなければ、現在の奄美諸島全域が琉球音階圏になっていた可能性は高いと思います。

 とすると、琉球音階伝来以前の沖縄宮古八重山は奄美とほとんど変わらなかったと考えられますね。

投稿: 琉球松 | 2009/03/09 10:58

琉球松さん

似て非なる話ですが、シンポジウムでは金城厚さんが、三線を昔からあったように思いがちだが、御冠船の記録を見ても、使われているのは16世紀(たしか)くらいからだと話していました。

琉球弧の原像をリアルに浮かび上がらせてみたいですね。

投稿: 喜山 | 2009/03/12 08:43

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