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2009/03/17

「猿渡文書」は名前が懐かしい

 先日の「喜」の話もそうだけれど、「猿渡文書」を読んでいて気になるのは、知っている名前が出てくるように思うことだ。まあ正確には知っている名前というより、馴染みある字といったところだ。

亥三月廿三日
一手紙一通一尺莚一束一億後莚一束 但し実喜美方より右の通り当春住栄丸の船頭町村森蔵え頼んで差し登せておいた。
一尺莚一束
右は当島の医者前偉は御座書役等を勤めているので、当夏御勘定方として沖永良部島え渡り右の島の御勘定役を身にうけて、上国した。このことについて船送りをしてやった。そしてまた前偉は御国許鹿児島へ上国された処、病症が流行しているとの事で同年十二月住栄丸の船便で沖縄山原の運天湊へ早々ついた由。そして山原の宜名真湊からの便船で子十二月六日に当与論島の前浜湊え帰ってきた。

 これを見るだけで、沖永良部、山原、運天が身近だったことが分かるし、前浜が出てくるのにも興味をそそられる。でも、いま注目したいのは、「前偉」という名前だ。これ、「まえひで」と呼ぶんじゃないだろうか。「偉」という字を使った叔父がいるからだ。珍しい字の選択をするなあと思ってきたが、先人にあったということなんだと思う。

  請取

一茶三袋 一数ノ子一袋 一半切一折 人包-ツ

右の通り猿渡様からのものとしてたしかに請取りました。 以上
午三月十六日               与論島

                         正業
 相生丸
 船頭
   森田平左衛門様

 別の場所のこの記述もそう。「正業」は「まさなり」じゃないだろうか。これも、叔父が「業」の字を使っているから。

 叔父たちのご両親も、その前の世代のどなたかの名前から字を採ってきた。その流れはすくなくとも、近世末期にさかのぼる。考えてみれば当たり前だけれど、前偉、正業の名前を身近に感じる。



 

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