「猿渡文書」
「猿渡文書」(さるわたりもんじょ)は、沖永良部島の代官、猿渡彦左衛門が与論に残した子孫と鹿児島の本家との間で交わした書簡や贈答品を詳細に書き記したもの、とされている。
期間は1853年(嘉永六)から1873年(明治六)の約20年間に及ぶ。この間は、1855年までは大島に名越左源太がおり、1857年には与論にも惣買入制が敷かれ、1862年から1864年までは西郷が沖永良部島におり、1868年には維新、1871年に廃藩置県、翌72年には琉球藩が設置され、奄美では勝手世運動が起きる、という奄美にとっても激動の時代に当たっている。
そのとき、与論はどんなありさまだったのか。文字による記録がとりわけが少ない与論に残された文書だから、代官家の備忘録のようなものだったとしても、そこに島が垣間見れるならそれだけでも貴重だ。
ゆっくりと「猿渡文書」を追ってゆこう。
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