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2009/03/18

文書にみる戊辰戦争

 莚を送り、煙草を送られるという止まった時間のようなやりとりのなかで、突然、歴史が顔を出す。

    覚

一 中茶二斤 上茶一斤 一帯用形付切連一ツ
但 一ツニ入付 但右二行紙包一ツに入付
一 葉煙草一ツ一日州半切紙一折
但シ右二行は紙包一ツに入付

右紙包は取り束ねて俵に入れ差し上げましたので、お改め御受取下さい。但し積入手形は船頭方へやりました。
右の通り御贈り下さいました。但し当巳二月十九日住栄丸の入着で同二十二日船頭久志の武兵衛が届けたので、御手紙の表書を拝見しました処、御子息様御両人は去る夏以来会津え出陣されたが、むこう(相手のこと)の方は降伏になり、どこでも薩摩は勝ち軍の戦いをしているので、御取次を願ってお暇をもらい萬之介は六月二十八日に帰着し、弥五郎も大坂という所へ帰りつつあるとの事をたしかに承りましたので、多分両三日中にはここに安着するものと、わざわざお待ち申しております。兄弟ともに無事でさいの事でございます。世間はいろいろと戦死や負傷した人々が多くおりますけれども、子供はほんとうに千秋万歳のおめでたで大悦びにございます。

 右の通り仰せつけられたので、御悦びの御祝儀を申し上げておいた。そして又備後荘十二枚敷用のため当春便で差し登せる様仰せられましたけれども当分蘭の持合せがなく、ようやく備後蘭を五枚調えましたので、当夏上国する冨静方へ頼んで差し登せ進上いたしおきました。

 この巳の年は、おそらく一八六九年。「去る夏以来会津え出陣された」というのは戊辰戦争のことだ思う。ぼくはこの記述で、文書は明治を越えたことを知る。「どこでも薩摩は勝ち軍の戦いをしている」と、維新後の勢いも伺い知れる。

 維新も風聞のようにしかやってきていない。そんな風に見える。しかし、これは代官家を中心にした手紙の世界からやってくる印象だ。そうだとしたら、与論の島人にとって、維新はもっと遠いことだったろう。


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