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2009/03/29

昭和の歌謡と小夜子とまれまれと

 ISIS編集学校頭取の大川さんの案内であちこちへ。

 まず、新宿で「音楽寺小屋 歌謡曲でつづる昭和の歴史」。歌謡史研究者の白井伸幸さんの話で、昭和24年から昭和26年までのヒット曲を聞いた。昭和24年は、「青い山脈」、「トンコ節」、「長崎の鐘」、「悲しき口笛」、「銀座カンカン娘」、「三味線ブギウギ」、「君忘れじのブルース」。同時録音の時代、「青い山脈」の間奏でテンポが速くなっている。これは気持ちが入ると脈拍が速くなってしまうから。こういう現象は「走る」と言って本来は忌むべきことだが、実はヒット曲にはこういう現象が多い。との説明はなるほどだった。

 昭和25年。「越後獅子の唄」、「水色のワルツ」、「さくら貝の歌」、「白い花の咲く頃」、「イヨマンテの夜」、「買い物ブギー」、「夜来香(イエライシャン)」、「チューインガムは恋の味」、「桑港(シスコ)のチャイナ街(タウン)」、「小判鮫の唄」、「星影の小径」。知っている曲と知らない曲が半々くらい。「イエライシャン」は母が口ずさんでいた気がする。今は前奏の作曲者は、歌の作曲者とは別だと聞いてびっくりした。ぼくが作曲者だったら全部、自分で作りたいと思うだろう。ぼくがそういうと、「古い人ということですよ」と笑われる。否定できない(苦笑)。

 昭和26年。「あざみの歌」、「私は街の子」、「ぼくは特急の機関士で」、「東京シューシャインボーイ」、「高原の駅よ、さようなら」、「野球小僧」、「上海帰りのリル」、「ダンスパーティの夜」。これと別に「リオのポポ売り」を取り上げて、誰も行ったことのない場所を憧れの地として設定するのは歌謡曲の作り方のひとつと解説していた。これは、行ったことがない場所でも取り入れることで歌の自由度を獲得した古典の歌謡と同じなのだなと思った。

 歌は世につれというように、歌謡曲によって浮かび上がる時代があるというのは、ぼくにもなんとなくわかる。ぼくがビートルズの曲を辿ったのはジョン・レノンとポール・マッカートニーの関係史としてだったが、そこにはいつも時代が刻印されているのを感じることができた

 まるで繭のような東京モード学園のビルを横目に、次は東京ミッドタウンへ。ぼく一人では絶対に行かないところとだけ知らされていたのだが、ファッション・モデルの「小夜子」の映像の上映。驚いたが観れてよかった。山口小夜子さんというファッション・モデルをよくは知らなかったが、可愛らしくあどけなく、妖艶だった。彼女は、服をして語らしめるというのはこういうことなんだと表現していた。自我が強いと聞こえてこない。自分を空っぽにすると、服が教えてくれる。こう動いてほしい、と。バックで流れていた音楽が頭をめぐった。

 日本が生んだ世界のファッションモデル…世界を陶酔させた東洋の粋"小夜子"

 で、再び新宿に戻る。歌舞伎町で写真家荒木経惟を見かけた。いかにもな場所での遭遇。歌舞伎町だったのは「奄美料理まれまれ」を予約してあったからだった。久しぶり。そこで、なんと本の出版のお祝いをしていただいたのだ。ありがたし。

 鈴木さんや疎音のOさんともお会いできてうれしかった。お店の梨海さんは徳之島出身で歌を歌うと聞いて、真由美を紹介したくなる。当原ミツヨさんと松崎博文さんの島唄ライブもあり、楽しさもいっぱい。そういえば、歌づくしの午後。ひたすら、大川さんに感謝ですね。


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