赤佐湊とはどこか
「猿渡文書」では、与論の出入り口として赤佐湊がよく出てくる。盛窪さんとも話題になったのだが、この赤佐湊とはどこのことだろう。
珊瑚礁を削って口をつくった江が島桟橋は、当時、無い。「琉球国大島国絵図」を見ると、いまの茶花港に入ってきているように見える。あそこに大型船は寄れたのだろうか。うどぅぬすーに入る手前、公民館のところは小高い丘になっているが、あそこだろうか。
もうひとつ気になるのは、赤佐湊に入る道のことだ。北からの道と南からの道が合流して、赤佐湊に通じている。この道はどこだろうか? 町役場前の通りではない気がする。すると、茶花港にくだるあの道だろうか。で、北への道は図書館の前を通り、茶花小学校の手前で北に向かう、あの道?
赤佐は、「あがさ」とあるが、麦屋は「むきゃ」とある。そう聞こえたのだろう。
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