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2009/03/06

「ヤマト文化圏」と「琉球文化圏」の違い

 松山光秀による「ヤマト文化圏」と「琉球文化圏」の違いの整理は、とても明快だ。

(1)琉球文化圏は年間の平均気温が摂氏二〇度以上の暖かい地域である。年間を通して雪が降らないし、水が凍らない。
(2)年間の平均気温が摂氏二〇度以上の地域では、海岸に珊瑚礁の干満が形成される。従って琉球文化圏の海岸は(A)浜、(B)干瀬、(C)沖の三段階構造となる。ヤマト文化圏は二段階構造である。この特徴に因んで私は琉球文化圏という呼称を別にコーラル文化圏と呼ぶことにしている。
(3)珊瑚礁の干瀬は大自然のつくった巨大な生け箕のはたらきをする。海の資源が豊かに生育し、人々は船を用いずに、歩いてそれを探りに行くことができる。また、毎年決まった時季にシュク(アイゴの椎魚の群)が寄って来て海の季節感を人々に与える。このシュクの寄りはニライ・カナイ信仰とも深いかかわりを持っていた。
(4)年間平均気温摂氏二〇度以上の地域と以下の地域では地上の植物の形態も異なる。この違いの南限と北限の境界線が渡瀬ラインである。(『徳之島の民俗文化』

 松山の琉球弧論の魅力は、琉球文化圏の根拠を「干瀬」に求めている点に現われている。海岸を「浜」、「干瀬」、「沖」の三段階構造に分け、二段階のヤマト文化圏にないものとして「干瀬」を見出しているのだが、毎度、欠如としてあるいはヤマトの傍流として琉球文化を見がちなところ、琉球文化の過剰性に着目しているところがま真っ当で好もしい。

 十八年前の昭和六十二年。公務出張のために、私は生まれて初めて沖縄の先島諸島を巡ったのであるが、そのとき、島々の渚を眺めてしばし心を高揚させたことがあった。
 なぜ? 私の住んでいる徳之島の渚とうり二つだったからだ。私は徳之島から陸づたいに歩いて先島までやってきた錯覚にとらわれ、ホテルで眠れぬ夜を過ごした。あれは不思議な体験であった。以来、私は珊瑚礁の干瀬を共有する地域をコーラル文化圏と呼び、ヤマト文化圏と対時させることを思いついた。

 それがこうした抒情に裏打ちされているのは素敵だと思う。この感受性が、松山の考察を徳和瀬というシマ/島という個別性に止まらせずに、普遍性へとつなげる要になっている。

 松山のコーラル文化論に触れるときは必ず書いてしまうのだが、いつかこの論の続きを展開していきたい。いつも書いてしまうのは、それが果たせてないからであるのだが。


『徳之島の民俗文化』2


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