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2009/02/28

「虹の蛇」とエラブ

 ところが、多種多様を原理とするスピリット世界の内部に、それとは異質な性質をもった特別な存在がいて、同じスピリット世界にそれが共存していることの不思議さが、以前から気づかれていました。それはたとえば、こういう存在です。
 砂漠性の気候に生活するオーストラリア・アボリジニにとって、乾期にも干上がってしまうことのない水源の池はきわめて重大な意味をもつ場所です。そのために、岩の窪地などにできたこうした池は、特別な扱いを受けてきました。めったなことではそこに近づいてはいけないし、特に生理中の女性が近づくことも、大声で話をしたり笑ったりするのも禁じられていました。その池の底に「虹の蛇」が住んでいると考えられていたからです。

 虹の蛇のイメージは、あの広いオーストラリア大陸に住むアボリジニのあいだで、ほぼ一定しています。それをあらわす言葉をよく調べてみますと、「虹の蛇」というきまった実体が考えられているわけではなく、水源の池の奥底に住む蛇のイメージと、空に立ち上る虹のイメージには、なにか共通するものがあるという思考から、この二つがゆるやかに結合され、そのまわりにいろいろなイメージや思考を引き寄せていることがわかります。
 この蛇は巨大な大きさをもっていて、ふだんは深い池の底に住んでいますが、雨期が近づいてくると、しばしば空中に向かって立ち上がってくることがあり、それを人は虹として見るのです。虹は大地の底から空中に立ち上がったエネルギー体をあらわしています。それはプリズムのように輝きながら、空中に架け渡された虹の身体をとおって、流動していくエネルギーなのです。(『神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉』

 この「虹の蛇」が魅力的なのは、沖永良部の鍾乳洞と潮吹き洞窟フーチャーと似ていると思わせるからだ。「この蛇は巨大な大きさをもっていて、ふだんは深い池の底に住んでいますが、雨期が近づいてくると、しばしば空中に向かって立ち上がってくる」というイメージは、沖永良部の巨大な鍾乳洞と吹き上げる潮としてのフーチャーのイメージに重なる。それは、海蛇神としてのエラブが島の地名になったのではないかという仮説と結びつく。

 虹の蛇はまざれもなくスピリット族の一員でありながら、オーストラリア・アボリジニにとっては、偉大なる「創造者」にして「律法者」だったわけです。一神教の成立に決定的な意味をもつことになったモーセの体験のことを、ここで思い起こしてみるのもいいでしょう。モーセの前に出現した神は、天地を創造した「創造者」であるとともに、厳めしい態度で律法の遵守をユダヤ民族に要求する「律法者」でもありました。モーセの神は自分以外の一切の神を大切にすることを、激しい嫉妬心をもって拒絶しました。ところが、虹の蛇は自分がスピリットの仲間であることを否定するどころか、むしろスピリットの増殖に一役買おうというほど、大らかな性格をもっています。
 つまり、虹の蛇はスピリット中でもずば抜けた存在でありながら、あくまでもスピリット世界の一員であることを変えません。スピリットの世界はおびただしい数と種額のスピリットでひしめき合っています。しかしそこには同時に、一神教の神を思わせるようなとてつもない威力と単独性をそなえた「大いなる霊」も存在し、おたがいを排除しあうことなくひとつのスピリット世界で共存しあっています。そしてこのようなスピリットのあり方は、「国家をもたない社会」では、むしろ普通のことだったのです。

 「虹の蛇はスピリット中でもずば抜けた存在でありながら、あくまでもスピリット世界の一員であることを変え」ない。それは、エラブの在り方にも通じるのかもしれない。


 ※「沖永良部は、イラブから?」「昇り竜の島・沖永良部」


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