ユンヌ 「ユナ・砂」説
やはりぼくは何度も書いてきたように、ユンヌは「砂」の意味ではないかと考える。
ところで、海浜に立地するユナ系の地名は、いずれも白砂と共にある。竪っているのは、国頭村のユナ(与那)で、最も海砂の寄り付く条件から、ユナと付与されたとみられるが、一九六○(昭和三五)年五月二十三日に起きた、チリ地震による津波は、翌二十四日には太平洋を越えて沖縄まで襲来し、そのもたらした海砂によって与那川は河口が塞がれ、ユナの集落内まで海砂が侵入した。
ユナ(共通語ヨナ)とは、砂を指す基層地名で、国頭村の与郡はまさに〝砂の寄りつく所″であり、ユナバル(与那原)も、美しい白砂の果てしなく続く〝砂原″の義であった。しかしユナグシク(与那城)は、海浜に立地した地名ではなく、丘陵上にあるところから、揺り上げ地をいうユラからユナへの変遷地名であろうとみられる。またユナグニ(与那国)も砂とは関係なく、土地の方言で〝四つのくに〟を指す、〝ドゥナン〟を共通語読みにしてヨナグことし、与那国を当てたものであろうとみる。(久手堅 憲夫『地名を歩く』2006年)
国頭の与那や与那原だけでなく、与論も砂浜が美しい。美しいというより、与論は島の四囲が砂浜といっても過言ではなく、まさに「砂」に地勢を特徴づけられた島である。
ここで、ユンヌをユナの古形とされるアイヌのウナ(灰)と、ヌ(持つ)という意味の合成(「ユナヌ vs ユリヌ vs ユウヌ」)と考えたこともあるが、単純に、ユナ(砂)から、ユナ-ユーナ-ユンヌ、という転訛を想定してもいいのかもしれない。
そしてぼくは、久手堅が別の意味を想定している与那国も同じ系統ではないかと考えている。与那国(ヨナグニ)は、島の地名であるドゥナンをもとにしており、ドゥナンやユナンへの転訛を想定できる。石垣島からはユノーンと呼んだこともある。このユナンであり、ユノーンは、ユンヌと近しさを感じさせる名称だ。
与那(国頭、瀬利覚)
与那原
与論
与那国(ドゥナン)
ダンヌ(与那国島の浜)
ヨンニ(徳之島の阿権)
これらも「砂」の地名であると思われる。
ただ、これで見ると、「ダンヌ浜」は、「砂」と呼んで差支えないと思うのだが、与論での体感値をもとにすると、与那国島を「砂の島」と見なせるのか、行ったことはあるけれど、こんな問題意識を持った目で確かめたいと思っている。
ともあれ、与論イメージの初期形は、「砂の島」だった。
「与論イメージを旅する」5
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コメント
喜山さんの地名の由来を考えるシリーズ大好きです。
加計呂麻=波照間もそうでしたが、とっても面白いです!
正解が無くても、考えるのはわくわくしますねー。
今年はぜひ与論に行ってみたいと思っています。楽しみです♪
投稿: FORTUNE | 2009/01/11 11:56
FORTUNEさん
コメントありがとうございます。ぼくも、ハードなことを書いてるより、地名のことを考えたりする方がほんとは好きなんです。
古い地名の意味を理解するのは、何千年前の島人と会話することと同じような気がしています。島の言葉が大事だというとき、ぼくなら、昔の人と会話できることになるからと答えます。
与論、行ってやってください。何もない、いい島です。
投稿: 喜山 | 2009/01/11 18:11