「てぃーどん」とは「竹しげるところの港」か。
竹富島の方音である「てぃーどん」は、どういう意味か。
「竹しげるところの港」と解してみる。
「港」は、「諸鈍」の「鈍」を「港」と解したのと同じ根拠であるとする(「『鈍』は『港』か」)。
「竹」はひとまずそのまま受け取ってみる。少し前まではでたらめだとしか思っていなかったが、そう字を当てたということを尊重してみたい。
竹富島(竹どん、と呼んでいる)は石垣島の南西二浬、西表島の東方五浬の所に位する平坦な小島であって、古成層の園を珊瑚礁が取り巻いているため、先島の小島には珍しく甘水(井戸水)が得られ、マラリアもなく、また島の東・南・西の太平洋に面する側には、石垣島から起こって、黒鳥・離れ・西表島へと続いている外廓のリーフに囲まれ、海が穏やかで船着場がよく、昔八重山へ渡った神々の足場であり、八重山部落の草分けだと言い伝えられている。(『蟷螂の斧―竹富島の真髄を求めて』)
「てぃーどん」の「てぃー」を「竹」と解してみたいのは、崎山毅のこの文章にも依っている。「てぃーどん」は「竹どん(たきどん)」と呼ばれており、この音の取り方、字の当て方にも「竹」が残っているからだ。
崎山のこの文章はもうひとつ大事なこと、竹富島が良好な「船着場」で八重山のシマの草分けと呼ばれているということだ。それは、「どん」が「港」であるという理解を支持してくれる。
そういうわけで、「てぃどん」は「竹しげるところの港」であるとすれば、その本源は次のように、再構できると思う。
tagi dumai
「tagi」は、三母音化した「竹」であり、「dumai」は、「どぅまい」のことだ。
tagidumai > takidumai(gを五母音化してk)
tagidumai > takidumai > taidumai (母音にはさまれたkの脱落)
tagidumai > takidumai > taidumai > tidumm > tidun
(aiの長母音化と、語尾の撥音便化)
こうして、「たぎどぅまい」は、「てぃーどん」になりうる。
「竹しげるところの港」としての「竹富島」は、「たぎどぅまい(tagidumai)」を本源として、「てぃーどん」への進展を想定することができる。
こう考えてくると、「dumai」は、単独で地名になった場合は、「まい」の語尾を保存するが、その前に言葉を持つと、「どぅまい」が「どん」へ縮退するように見える。「諸鈍」しかり、「花富」しかり。
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