言語の「幹」と「根」は沈黙である。
「言語の『幹』と『根』は沈黙である。」
というフレーズは、魂が落ち着く。
「文芸批評というのがありうるとしたら、作品と作者の関係が強い糸で結ばれていることを明瞭に示すことだ。」
ここからは、吉本さんに夢中になる契機が蘇ったのと、そのときに批評という分野が自分の宿命のようにあるのに気づいたこと、そしてそれはマーケティングも同じではないかと考えている現在の自分とを、改めて思いだした。
当日、分からなかったことで今日分かったのは、糸井さんが最初、呪術的な意味でもあるのだろうかと思った、実は、娘さんのハワイ土産のTシャツのデザインでした(笑)。
もひとつ。「編集後記」と称した糸井さんの訪問での話は面白かった。
奄美の島唄。あれは島に封じ込められたからの凝縮度があるんだなと連想した。そして、奄美の沈黙。ぼくは失語と考えているけれど、その沈黙は価値だということ。
それから最後の猫。あれがよかった。
ETV特集『吉本隆明 語る~沈黙から芸術まで~』の印象メモ。
『芸術言語論-沈黙から芸術まで-』
「中沢新一さんと糸井重里さんが吉本隆明さんのことを話す」
「芸術言語論 その2」
◇◆◇
で、今日の糸井さんのコメント。「今日のダーリン」
昨日、『今日のダーリン』で、
「出来がいいとか悪いとか、
おもしろいかどうかについては、わかりません。
ただ、生命力だけは絶対にあると思うんです」と、
開き直ったようなことを書きました。
で、放送が終わって、その通りだったと思いました。
「これ」を、「これ以上」におもしろくするとか、v 「これ以上」に誉められるようにするとか、
「これ以上」に演出したり装飾したりすることは、
いままでずっと
テレビが得意としてきたことだと思うんです。
でも、それを得意にしてきたテレビの歴史が、
「以上」にすることばかり上手になって、
「これ」を薄く薄くしてしまったのではないか。
すばらしい形容詞がずらずらっと並んでいて、
修飾するべき名詞が消えていた‥‥というふうに。
しかし、昨夜の番組は、
「以上」については考えることをやめていて、
とにかく「これ」を映したのだと思うんです。
「ひさびさに、これというものを見た思いです」
という感想には、ほんとにそうだ、と思いました、
素のよさが出ていたということだと思う。
実際、そうだった。等身大、脚色無し、でした。
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コメント
あけましておめでとうございます。
今年もよろしく・・・。
NHK教育は電波の都合で受信できていません。
総合で 桂離宮のドキュメント見た後寝てしまいました。
難しそうな講演内容ですか
そのうちにたどりつけたらと 思います。
南海日日でツアーガイドの紹介が載ってたとのことですが、それも未だ読んでいないので、
今日には正月特集を 購入するか 図書館で いつか読んでみます。
面白い話題だけでなく
真剣に生きる姿が 奄美のこれからの原動力だと信じて 農作業に力をいれます。
東京で お会いしたいですね。
投稿: awa | 2009/01/05 06:01
awaさん
ぜひお会いさせてください。いつ頃いらっしゃいますか? スターフルーツのお手伝いもさせてください。
投稿: 喜山 | 2009/01/05 08:50
喜山さん、こんにちは。tssune3です。今日から仕事始め。まだ正月ボケです(笑)。教育テレビ見損ないました!ガクッ。…………しかし、誤解を恐れずに書きますが、吉本さんを越える、いや同等の大きな存在が欲しいです。どうも心根がドシッとしません。本年もよろしくお願いします。
投稿: tssune3 | 2009/01/05 16:15
tssune3さん
こちらこそ今年もよろしくお願いします。
ぼく自身も、吉本さんに頼りっぱなしだなあと反省します。まず、今年をしっかり乗り切りたいですね。
投稿: 喜山 | 2009/01/08 07:50