奄美大島の古名は何だろう 3
・「奄美」も「大島」も古名ではない
およそこんな風に考えて、「奄美大島」の古名は何だろうという問いがやってきた。
で、ここまで辿って思うのは、「奄美大島」の古名は無かったということではないだろうか。それは、「なぜ」であり、「くにゃ」であり、「あむる」であったり、だったのではないだろうか。そういえば、与論でも「大島」と呼ぶ以上に、「名瀬」と呼ぶ気がする。それは、行く先が「名瀬」であることが多いからだが、沖縄島を「なふぁ(那覇)」と呼ぶように、大島を「なぜ(名瀬)」と呼んできたのではないだろうか。
つまり、「島」ではなく、「シマ」が古名になっているのではないだろうか。奄美大島は、山と毒蛇により、各シマの独立性はとても高い。かつ、明らかに巨大な「島」だ。そこでは、島全体を指す必然性は、昔は無かった。ちょうど、九州島、本州島と、わざわざ呼ばないように。「シマ」の名を呼び、それで事足りていたのだ。
それが、「シマ」ではなく「島」がひとつのまとまりとして認識されたとき、神名が地名となり、そして大和朝廷勢力に、「海見島」と記述される。それは、「阿麻美」、「掩美」などの表記の揺れを伴いながら「奄美」となる。しかしどういうわけか、その後に地勢の特徴である「大島」を添えるようになると、むしろ「大島」という地名が優勢になった。仮に、「奄美大島」が、「奄美島」と呼ばれたままで定着していたら、ぼくたちには「奄美」がもっと身近な言葉だったろう。しかし、各シマを呼んで事足りた次の段階は、「大島」と呼び習わしてきたので、「奄美」が疎遠になったのかもしれない。
奄美大島においては、「シマ」と「島」の認識は、
(シマ)>(島) 「シマは島より広く大きい」
なのだ。これは与論などとは対照的で、与論では、
(島)>(シマ) 「島はシマより広く大きい」
である気がする。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。




































コメント