ユンヌ 「ユリヌ・漂着」説
ユンヌの語源として魅力的な仮説は、「漂着」と解するものだ。
「ゆんぬ」とは、「よ(寄)りぬ」に由来する古称である(堀、1992)。すなわち、島の名称が漂着することを直接表現した名称となっている。(堀信行「『ゆいむん』地名考 与論島の百合が浜から斎場御嶽のユインチ(寄満)」『南島の地名(第6集 2005)』
これが魅力的なのは、与論という島は道之島の終りであり、次は巨大な沖縄島が続くから、黒潮に乗った南からの漂流物は、与論島に流れつきやすい。与論はそういう場所に位置している。寄り物が多い島としての与論という考えは、この島の身の上に合っているようにみえる。
与論は「漂着」の意だとしたら、ユンヌの語源は、ユリヌと解することができる。そしてユリヌをもとにすると、「リ」が縮退して「ン」となったと想定することになる。そして同時に、「ヌ」が縮退して「ン」となったとすれば、「ユリン」であり、「ユルン」への転訛を経れば、「与論」へのつながりも見通せる。つまり、ユリヌから、ユンヌへも与論へも道筋がつけられるわけだ。
しかし、ぼくはこの考えは採りにくい。
与論は、まず、語源から発生した古来からの呼称は長い時間の堆積を経たものであるのに対し、「与論」はそれに比べたら、相当、新しい名称である。仮に、ユリヌがもともとであるとし、そこから「与論」と字を当てはめるのはとてもスムーズになるが、それと同時に、そこからユンヌも生まれたことになる。しかし、それはとても想定しにくいと言わなければならない。なぜなら、「ユリヌ」がそれだけ長い時間の堆積に堪えた言葉なら、「与論」と同じころに「ユンヌ」に転訛するとは考えにくい。ユリヌから「与論」ができたとしたら、「与論」という語音との親近性から、ユリヌという音のまま残ったとするほうが自然である。
ユリヌからユンヌへの転訛は古い時代になされて、既にユンヌと呼ばれているのに、「与論」と字を当てたのは、ユンヌの語源がユリヌであると知っていたからだと考えることもできる。けれどこの場合も、仮にユンヌのもとはユリヌであると、「与論」と名づける頃に知っていたなら、現在もそう知られているはずである。でもそうではない。
しかしぼくがもっともユリヌが語源とは思えない理由は、古い地名は、地形や地勢を名指したものであるとするなら、「漂着」という島にある現象は、そもそも最古の地名ではないと考えられるからだ。ユンヌの原型が「漂着」としてのユリヌではあり得ないのではないかと思える。
ユリヌは与論というより、ユリヌパマとしてなら、「百合が浜」の語源であると見なすことはできる。ユリヌパマが百合が浜の語源であるのは、砂が寄ってできる浜という地勢を言い当てている。この場合の「ヌ」は格助詞の「の」の役割を果たしている。
「与論イメージを旅する」4
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コメント
「よ(寄)りぬ」に由来する古称。。。これは支持ですね。「百合が浜」の語源も「寄りが浜」?
それと、与論の東側に聖地「赤崎」がありますよね。島の大きさは違っても、沖縄島同様にアマミキヨの寄り来る地でしょうかね。
「ユンヌ」は、沖縄島側からすれば南下する神々の足がかりの地、与論を基点に東側南下ルート、西側南下ルートでしょうか。2000年を遡るの地名の可能性はあると考えます。
投稿: 琉球松 | 2009/01/07 00:07
琉球松さん
南下する神々の足がかりの地としての与論というのは、面白いですね。
「南下する神々」は、どんな勢力が想定されるのですか?
投稿: 喜山 | 2009/01/08 07:54
2000年前に「アマミキヨ・アマミク・アマミコ」の名称があったか否かは証明できないとしても、当時(弥生時代後半)の西日本全域から出土する「ゴホウラ貝輪」の素材が沖縄諸島産(与論&沖永良部を含むか)であることは明らかですね。
奄美大島~沖縄島南部の祭りや神歌(琉球王国成立以前のもの)から推測すると、神々(人々)は、旧暦2月頃に笠利あたりに到着し、沖縄島には5月頃にやって来ますね。
与論での "お迎え" は、だいたい3~4月頃だと考えられます。
投稿: 琉球松 | 2009/01/08 17:44
訂正、補足
*与論での "お迎え" は、だいたい4~5月頃
*その勢力の思想は「オナリ神信仰」とも言える邪馬台国派ヤマト人?
投稿: 琉球松 | 2009/01/08 19:21
琉球松さん
解説ありがとうございます。面白いです。
「アマミ」という言葉は、天であり水であり海であり、南下した弥生勢力由来の言葉ではないかなと思ったりします。腰を据えて考えていきたいですね。
投稿: 喜山 | 2009/01/11 18:04