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2009/01/21

奄美大島の古名は何だろう 1

 奄美大島の古名は何だろう。与論の古名は「ゆんぬ」であり、喜界の古名は「ききゃ」であるのと同じ意味で問うとするなら、それは何だろう。それというのも、「奄美大島」について、それに該当するものを知らない。


・「奄美」は最古層ではない

 まず、「奄美」という言葉は、「ききゃ」や「うき」のように、地形や地勢の特徴を表していない。他に古名があってしかるべきだと思う。7世紀、大和朝廷勢力によって、「阿麻美」、「海見」と記されたとき、それは『古事記』で、伊予国(いよのくに)に、愛比重(えひめ)という神名を対応させて、やがて県名として定着したように、アマミクという開発祖神名が島名になったと仮説することはできる。そしてそうなら、それは最古の地名のつけ方ではない。

 これを最古層の地名ではないと感じるのは、別の理由もある。それは与論のなかでも、「奄美」という言葉が方音のようには使われていないからだ。むしろ実感的にはこちらの理由のほうが強い。沖永良部のことを「いらぶ・えらぶ」と呼び、徳之島を「とぅくぬしま」と呼ぶようには、奄美大島を「あまみ」とは呼ばない。実感的に言えば、「あまみ」というとき、どちらかといえば標準語的に響いてくるような気がする(標準語だという意味ではない)。
 
 島尾敏雄は、1959年に、「沖永良部島や与論島で、自分の島が奄美と呼ばれていることを知ったのは、やっと昭和にはいってからだ」(「南島について思うこと」)と書くが、これは、「奄美」は知っているがその範囲に「沖永良部島や与論島」も入っているのを知らなかったのではなく、「奄美」自体を知らなかったということではないだろうか。そうだとしたら、「奄美大島」は島人に「奄美」とは呼ばれてこなかったことになるのだ。

 もうひとつ、「奄美大島」という島名の成り立ちは、「奄美」の「大島」であり、これは順番としては、最初、「大島」であったものが、他の「伊豆大島」などと区別する必要が生まれて、「奄美」の「大島」としての「奄美大島」になったと捉えるのが自然だ。

 こうやって考えると、「奄美」は最古層の地名ではないと思える。


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コメント

ぼくも,「奄美」は最古層の地名ではないと思いますね。理由は,喜山さんと同じです。喜界島でも「奄美」と言いません。「ウウシマ」です。大人のことを「ウフッチュ」と言い,大きいことを「ウフィサン」と言いますが,大きいを表すウフシマが本来ですよね,多分。
対外的な関係の中で「奄美」という呼称が生まれたと思われますが,問題は大和人が呼称したのか,大島の人が名乗ったのか。対外的には「奄美」,奄美・沖縄では「大島」という二つの呼称のされ方は,奄美人(琉球人)の成立に起因している気がします。古代から中世にかけて,幾度かにわたって北から来た人々と在来の人々が融合して奄美人(琉球人)が成立したと考えていますが,渡来人と在地人との二層構造が「奄美」「大島」という二つの呼称を生み出したのではないか。喜山さんはどのように思われますか。

投稿: shimanchu | 2009/01/21 23:11

shimanchuさん

> 渡来人と在地人との二層構造が「奄美」「大島」という二つの呼称を生み出したのではないか

これはすごく面白いですね。

「あまみ」は大和からの言葉ではないかと思うのですが、この定着感のなさが興味深いですよね。大和朝廷と同時期の勢力が「あまみ」という言葉をつくる。しかし琉球弧の島嶼間では、島の地勢から「大島」と呼ぶ。それは大和にも反映されて薩摩も「大島」と呼ぶようになる。近代以降、「大島」だけでは伊豆大島などと区別がつかないので「奄美大島」と改めてドッキングした。というより、このとき初めて「奄美大島」はできた。

と連想が広がりました。いいヒントをいただいた気がします。ありがとうございます。

投稿: 喜山 | 2009/01/22 09:08

普通に使ってしまっているから見落としている一番の課題だと思いながら、そのままになっている事の一つです。
問題提起ありがとうございます。
私もshimanchuさんと同じ考えというか、もともと地名というのは誰が誰に何のために使うかによって大きく違ってくるとは思います。
でも、大和朝廷時代に一時期でてきた奄(左に人偏)美という言葉がその後、消えたのは何故か。琉球のアマミコという言葉はどこから、それが奄美に繋がるのか、そして江戸時代にはほとんど大島という言葉が使われているのに、近代(明治以降)に入ってから”奄美”というのが出てきたのはどこからだれが名づけていのか。何故、この漢字が当てられたのか。
こう考えるとわからないことだらけですね。
今年のテーマの一つにしようかな。

投稿: mizuma | 2009/01/22 18:14

mizumaさん

たとえば、mizumaさんの世代は自分の島を呼ぶとき、「奄美」と呼びますか?「大島」と呼びますか?それとも「奄美大島」ですか?

ぼくは考えてみると、外に向かうときは「奄美大島」と言って、島の人と話すときは「大島」と言ってきた気がします。

投稿: 喜山 | 2009/01/23 08:31

私たちの世代、と限らないかもしれません。
普通に”奄美”です。
これはホームページを最初に作った時に大島以外の方に指摘されてはじめて気づいたことです。
”奄美”=”奄美大島”でもあり”奄美群島”でもあり、自分の環境が”奄美”では普遍のことと意識してました。
両親や祖母の世代は”大島”と言っていたような気がします。
そう考えると”奄美”という言葉が強調されたのはかなり近代で明治に入って薩摩がひた隠しにしていた今の奄美群島を国に対して表現するためのものだったんでしょうか。それとも戦後の復帰運動の時に復帰の対象地域としての名前が”奄美”だったんですかね。
推測ばかりですいません。ちょっと調べてみます。

投稿: mizuma | 2009/01/23 11:45

喜山さん、すいません。
問いかけに答えになってなかったですね。
通常は”奄美”ですが、確かに相手が奄美群島の大島以外の人には”大島”と使ってました。まぁ、高校に入って大島以外の人と意識して会話するようになってからですが。
大島島内の人とは島を意識するのではなくて、今度はシマを意識します。
そして奄美以外の人には”奄美”を使います。
こうやってきちんと考えてみると面白いですね。

投稿: mizuma | 2009/01/23 11:48

mizumaさん

遅くなりました。「奄美」と「大島」と「シマ」ですね。

これが与論の場合だと、「シマ」の次は「与論」ですが、それ以上の場合の「奄美」が希薄になってしまうんですね。面白いですね。

投稿: 喜山 | 2009/01/25 17:52

漢字が大きく変化したのは主に廃藩置県で政府が神社の名まで変えたあたり。関係あるかもしれません。それまでの信仰も廃止ですので。ちなみにアマミの7世紀に書かれた字とアマミクとアマミコの字は同一です。アマミコは天巫女ととらえられ、ウチクイの文化に関わっています。 ちなみに、琉球王時代に聞之大君がアマミコだと年号的にあいません。子孫なら別ですが。 島を創るアマミクとアマミコの話は日本神話に類似しているばかりでなく、その後のムヌガッタイに帝が登場します。おかしいですよね? しかし、第一琉球王時代のティーダは、源頼朝(清少納言の父)説もあるくらいですし…。一人で調べた結果ですのであしからず。ちなみに聞之大君の家系は女系で、現在の沖縄県浦添市に居住していたみたいです。ウラシーから浦添。現在もヤブが多いそうで。ノロとヤブは役職が違って聞之大君はノロですが。

投稿: パンカタワラビ | 2010/02/18 21:19

パンカタワラビさん。

詳しい解説、ありがとうございます。
アマミコは神話上の存在。聞得大君は宗教的司祭ですが、信仰の中味は共通している気がしますね。

投稿: 喜山 | 2010/02/21 18:31

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