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2009/01/15

琉球と薩摩の狭間で揺らいだ与論イメージ

 ずっと昔、薩摩が攻めた後、与論はもともと割譲の範囲に入っていなかったのだが、鳥島で採れる硫黄が必要で、そこを琉球に入れる代わりに、与論が沖永良部以北の奄美とともに、薩摩に割譲されることになったという話を聞いたことがあった。誰が教えてくれたのか、いつだったのか忘れてしまった。けれど、それは与論の運命を左右した重大なエピソードのように思えて、ずっと頭に残っていた。

 いまにして思えば、教えてくれた人は、伊波普猷の文章を読んで言ってくれたのだろう。

 翻つて奄美大島諸島はどうかと見ると、慶長役後問も無く、母国から引離された、大島、徳之島、沖永良部、喜界の四島(最初鳥島は其中に這入つてゐたが、支那に硫黄を貢する必要上、再ぴ琉球の管下に入れられて、その代りに与論島が四島と運命を共にすることになつた)は薩摩の直轄にされて、爾来三百年間極度に搾取されるやうになつた、これらの諸島は、最初の間租税は米穀を以て納めてゐたが、延享二年に米穀の代りに砂糖を以て納めることになり、その換算の率は砂糖一斤に付き米三合六勺宛ときめられた。安政年間に至り貢糖以外の産糖は幾分藩庁で買上げることにしたが、此時大島で買上げたのは一斤代金三合で一石当三百五十斤であつた。(伊波普猷「南島人の精神分析」『南島史考』)

 ぼくは、伊波が何を論拠にこれを言っているのか知らない。首里の近辺では知られたことだったのかも知らない。ぼくが読んだ奄美論のなかでも、これに言及したものはなかった。『与論町誌』も触れていない。果たして事実なのだろうか。それとも噂にすぎないのだろうか。きちんと当たってみたいと思う。

 ただ、エピソード自体にはリアリティがあるのは、薩摩が奄美を支配する際、沖縄島を直接、臨める地を意識したのは間違いないと思うが、それには与論は沖縄島にもっとも近く、沖縄島を仮に監視するポジションがあったとしたら与論は最適になる。しかし、薩摩の侵略の際に、与論のそのポジションにも関わらず、薩摩は与論には上陸しない。戦略的拠点としては取るに足らない小さな島と見えるからだと思う。むしろ、拠点として想定するなら、山からは沖縄島が望見できる沖永良部島のようがふさわしいだろう。

 侵略当初、薩摩が与論島に興味を示さなかったとしても不思議ではないし、その後の与論島への態度を見ても関心がないほうが自然ではないかと思える。そう考えると、伊波のいうエピソードにはリアリティがあるのだ。このリアリティをもとにすると、与論イメージはこのとき、激しく揺れたことになる。

 与論イメージは、琉球を背景にした与論だったのが、薩摩侵略以降、直接支配地の端としての与論となるのだが、その予定はなかったのに、取り引きによって、直接支配になったという経過があったとしたら、与論イメージは琉球と薩摩の狭間で、動揺したのである。

 このエピソードが事実か否かに関わらず、これが島人の関心を少なからず引くとしたら、それは今も与論は、鹿児島の範囲に含まれることが不思議でならないと感じているからだと思う。歴史観から言うのではない。いつも視界に沖縄島や伊平屋の七離れが入っているように、自分たちが育んでいる文化の実感からすれば、琉球文化を自然なものとして受けとめているからである。


「与論イメージを旅する」9


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コメント

iha

伊波 とういう  地名が与論の南の玄関。

 覇 と 那 
           言おうに  匂いますね。

  チキウス島  は  どこの管轄でっしょうか。

              だいぶ 鳥島。

      酔ってしまった。

投稿: awa | 2009/01/16 06:38

awaさん

いい感じですね(笑)。たしかに、与論の南の玄関は伊波、だ。

投稿: 喜山 | 2009/01/19 20:24

あまりユンヌが意識されなかったことの理由に、琉球王をまつり、さらにはウタキという沖縄のノロ・ヤブの聖地もあり、アジ(琉球国の役職)ニーチェの話もあり、侍の家があったこともあり、諸奄美の島々の者が琉球船が物搬する際、一役かっていたことも関係してきませんかね? 琉球船を助けた者には役職、褒美があったとか。琉球の仕組みでは下級武士の位みたいですが。

投稿: パンカタワラビ | 2010/02/18 21:59

パンカタワラビさん

おっしゃるように積極的な意味を見出すことも大切だな、と感じました。ありがとうございます。

投稿: 喜山 | 2010/02/21 18:33

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