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2009/01/04

与論イメージの始まりとしての「ゆんぬ」

 ゆんぬは、いつから「ゆんぬ」と呼ばれるようになったのだろう。

 それはよく分からないのだけれど、島づたいに与論にやってきた初期の島人が名づけたものだと見なすことはできる。考古学は遺跡から3000年前には島人がいたことを推定しているようだ。ぼくたちはその頃に島人の足跡を認めることはできるとして、それを上限と考える必要もないと思う。もっと以前から、北上と南下の往来のなかに、島に上陸した島人の姿が幻視できる。

 「ゆんぬ」というのは与論島を指す名詞であって、島内の住民はもとより、沖縄本島や沖永良部島等では古くから言い伝えられてきた言葉でもある。
 そしてその「ゆんぬ」は、「ゆんぬちゅる島や小くさやあしが、鍋ぬ底中に五穀ぬ溜る」といった具合に、古くからだれ言うとなしに歌い出され、歌い継がれてきた名歌の中の言葉でもある。
一方、十六世紀中頃に組み立てられた島の十五夜踊(豊年踊、二番組) の中でも「ゆんぬちゅる島やヨー小くさやあLが……」と歌い込まれていることから考えても、その頃既に島では「ゆんぬ」という言葉が島名として用いられていたことは明らかである。(『与論町誌』)

 地名は、初期の島人の名付けの記憶をもっともよく保存している。16世紀というのは、「ゆんぬ」を新しく見積もりすぎである。「ゆんぬ」は、与論人(ゆんぬんちゅ)とともに古い。そうであるなら、初期の島人に、ゆんぬは「ゆんぬ」と呼ばれ、ほどなくして、山原や永良部からも「ゆんぬ」と呼ばれるようになった。「ゆんぬ」は、与論の初めての自己像であり、他者像なのである。


「与論イメージを旅する」2


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