なぜ、「竹」なのか
「てぃーどん」は「竹しげるところの港」という仮説を続けてみる。
この仮説の特徴は、「竹」を音に似せて字を当てただけでなく、意味も同義のものを当てたと見なしている点だ。これまで地名の基本としてきた考え方からいえば、「竹」が、竹富島の地勢・地形を特徴づけるものとみなしていることになる。
竹富島に「竹」は豊富だろうか。でもそういう特徴は聞いたことがない気がする。だいたい竹富島は、「武富島」と記されたこともある。するとやはり、「竹」は当て字に過ぎないだろうか。
当て字にすぎないかもしれないけれど、「竹(タギ)」から出発すると、「てぃーどん」にたどり着いたことに一分の理があることを踏まえて、言いうることはないだろうか。
そうやって考えると、ぼくたちは崎山毅の考察を思い出す。それは、八重山の島名が、大隅・奄美の島名に「似ている」ことだ。
地図を開いて大隈群島の種子島、屋久島と、八重山群島の石垣島、西表島を見較べると、島の形、両島の位置的関係並びに地勢がよく似ている。種子島は北から南へ細く延びた島で割に耕地に恵まれており、島の北部を御岬といい、西海岸には西ノ表の良港がある。
そして結論として、こう書いている。
1.西表島は、大隈群島の種子島の西ノ表から
2.竹どん島の御岬は、同じく種子島の御岬から
3.マギ島は、同じく馬毛島から
4.竹どんは、同じく竹島から
5.黒島は、同じく黒島から
6.西表島の八重岳は、同じく屋久島の八重岳から
7.石垣島のヤラブ岬は、同じくの口ノ永良部から
8.波照間島は、奄美群島の加計呂麻島から
9.与那国島(ユノン)は、同じく与論(ユンヌ)から
10.西表島の古見は、沖縄諸島の玖美(久米島)から
由来した名前であると考えた方がより合理的である。
琉球弧の人なら、これ一度は、あっと思ったことがあるのではないだろうか。ぼくも、十代のころに、あれ、と感じたことがあったと思う。この相似説には、誰もが何気なく感じることを踏まえた説得力がある。
崎山は、「八重山諸島は立派な日本語名である」と書くように、この相似説を、八重山が日本であることを根拠づけるものとして持ち出している。しかもそのモチーフは痛ましいほどに絶対化しているため、島名の字を方音に先立つものとみなしてしまっているのだ。たとえば、与那国があって、そこからの「どぅなん」への転訛が起きたと見なすように。
しかしそれでは方音をあまりに浅く掬い上げてしまう。同時に、浅いものに深刻な根拠が与えられてしまっている。言うまでもなく、島名の字は、方音を根拠に字を当てたものだ。だから、島名は、八重山の島名が日本語であることを証拠づけるものではなく、漢字を携えて南下した人々が方音をもとにして当てた文字というに過ぎない。
ここから想定すると、「竹富島」はもともと「どぅまい」(港)と呼ばれていた。そこに、大隅・奄美の島に文字を当てた勢力が南下したとき、そのポジションから、「どぅまい」を「竹島」と同位相にあるとみなした。そこで、「竹」は、三母音化して「たぎ」となった上で「どぅまい」と併記され連称された。青森の三内丸山(さんないまるやま)が、アイヌと和人の共存を示しているように、「どぅまい」と名づけた人々と「竹」と名づけた人の出会いをこの地名は保存しているのかもしれない。それが島名が、「たきどん」と呼ばれ、また「竹どん」という字を当てられることの背景に当たっている。
まだアイデアだが、ひとつの視点として提出しておきたい。
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